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2003年11月

2003年11月26日 (水)

映画「僕のスウィング」 

僕のスウィング

swing

2002年

フランス

夏の間に祖母の家に預けられた少年が、酒場での聞いたジプシーの男の弾くギターに感銘を受け、文盲の彼のために手紙のやりとりをする代わりにギターを習うことになる。やがて彼はジプシーの娘であるスウィングに惹かれるようになり、心を通わせるが、夏休みの終わりも近づいてくる。少年のひと夏を少年が練習する「黒い瞳」、華麗なギターや、ジプシー音楽で彩る佳作。

この映画は音楽がとにかく素晴らしいです。流れるような軽快なジャズテイストのスィングのきいたジプシー音楽(マヌーシュ・スウィングと言うらしい)のギターがとても心地よい作品でした。作中でギターを教えるおじさんがプロのギタリストさんなので、その見事な腕前にも釘付けです。

ストーリーは、作中で少年が日記をつけているのですが、まさにその日記のような切り取られた断片をつなぎ合わせたような印象を受けました。ジプシーたちのナチによる迫害、差別、文化の継承という複雑な問題もちらほらと顔を出して、音楽の爽やかさとは裏腹になかなか重い映画でもありました。

ラスト近くで、広々とした自然と華麗な音楽を映すことで、「ようやく訪れた自由」を表現している映像がとても印象的。

夏に見たい作品だったかな。結構好きかも。

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2003年11月25日 (火)

映画「ベッカムに恋して」

ベッカムに恋して

bend it lilke Beckham

2002年

イギリス

タイトルで大失敗シリーズにまた1つ作品が加わりましたね。ベッカムブームだからって、このタイトルじゃただのベッカム様の追っかけ映画な雰囲気ですよね。確かに、原題も「Bend it like Beckham」でベッカムという名前がはいってるんですけど、これは「ベッカムがボールをカーブさせるように古い慣習にとらわれている伝統的な生活を曲げて自分の夢をつかめ」みたいな意味なんですよね。

ストーリーは、ベッカムにあこがれてサッカーに興じるインド系移民の娘である主人公が、地元の女子チームに入団。しかし、彼女の両親は「女性は人前で肌を見せて走り回ったりしてはいけない」、「家族の世間体がある」と猛反対。さらにはインド系移民ならではの様々な慣習が彼女を束縛しようとするが、彼女はチームメイトの友人とともに自分の夢に向かってサッカーに励むという内容。

「リトルダンサー」女の子版に「ぼくの国、パパの国」のテイストを、加えたような感じですかね。

イギリス映画お馴染みの性の役割の変化が描かれていまして、その点では「リトルダンサー」、「フルモンティ」の系統の作品で、アジア系移民のコミュニティを描くという点では「マイ・ビューティフルランドレット」、「ぼくの国、パパの国」の系統にある近年のイギリス映画らしいテイスト満載の作品でした。

全体を通してかなり爽やかな作品で、ラスト近くの結婚式でのインド風お祭り騒ぎとサッカーの試合が被る場面なんかはかなりぶっ飛んでて気分爽快でした。サントラ聞きたいです。

インド家族の結婚の風習が色々と面白かったです。結納みたいのもあるんですね。あと、結婚式は新婦の家族が披露宴を開くみたいですね。ショッキングなのは、妹が白人男性と路上でキスしたことによって婚約破棄になるという事実。厳しいですね。

注目のキャラは主人公の友達の母親です。彼女の出演シーンはほぼ全て笑わせていただきました。あと、このお友達の子のキーラ・ナイトレイは「パイレーツ・オブ・カリビアン」で大ブレイクでしたね。スタイルかなり良いです。体脂肪率一桁なのは間違いないでしょう。

結局、民族的な問題もありますけど、根本にある問題は民族などの違いを乗り越えてどこの家庭でも同じなんですね。主人公に降りかかる問題は必ずしもインド系移民であるということが理由ではありません。白人の友人であっても、その母親は女性がサッカーをするという行為に抵抗を見せていました。親の厳しい束縛は裏を返せば、自分のことを思い心配してくれる家族がいるということですが、自分の夢を追うためにはそれに立ち向かわなければいけない瞬間が必要でして、ラストのほうで、それをとても印象的な映像で表現していました。

インド系女性監督が、自らのルーツを撮った作品だったのでしょうね。主人公に自分の夢を託しているのがとても印象的でした。それにしても「上手くいきすぎ」と突っ込みたくなるラスト。ラストの後の出演者、スタッフみんなが歌い踊る映像も好印象。先日の「Sweet Sixteen」や「ニューイヤーズデイ」のような倦怠感あふれるイギリス映画もいいですけど、こういう爽やかな作品も大好きです。「踊るマハラジャ」のようにインドってかなり明るい文化持ってますよね。続編作れそうですね。

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2003年11月24日 (月)

「幼な子われらに生まれ」 重松清

幼な子われらに生まれ (幻冬舎文庫)

幼な子われらに生まれ

重松清

幻冬舎文庫 1999.7  

バツイチ同士の夫婦に子供が生まれるという物語。主人公は妻とその2人の連れ子と生活しているのだが、妻の妊娠をきっかけに小学5年生の上の子が自分を避けるようになり、「本当の父親に会いたい」とせがむようになる。そしてそれはやがて、つぎはぎだらけのその家族の問題点を次々と顕わにしていき、主人公は、どうしようもない思いを紛らわすために風俗店で「赤ちゃんプレイ」にはまり、別れた妻と暮らす一人娘に思いを馳せる。

現代の家族の問題を書き続ける作家重松清のいつもながらの重松節が炸裂です。涙を流しながら「赤ちゃんプレイ」をする主人公の姿は本当に切なく哀しいものでした。

この物語はハッピーエンドとも言えない様な終わり方をするのだが、妊娠という本来は嬉しいはずのイベントを機に破綻しかけた家庭が、なんとかつながっていこうとする様子を重松ならではのあまりにリアルなドキュメントチックな手法で淡々と描いてます。

印象的な登場人物は主人公の前妻との間の娘と風俗嬢の2人。この娘はこの物語の中ではかなり「大人」である。物語の中のキーパーソンとなる人物なのだけど、彼女の登場するシーンは決して良い場面ばかりではないのになぜか安心してしまうのは、「主人公が本当に愛している娘」という設定に感情移入してしまうからなのだろうか。

もう1人、風俗嬢さんは、主人公に向かって「自分はそのとき一番近くにいる人を愛する」という隣人愛を語り、過去にも未来にも縛られず生きている。物語中出てくる唯一の明るいキャラクタでとても印象的。

あとは、ラスト近くの贈り物のシーンでは不覚にも涙腺がゆるんでしまいました。切なすぎます。

この作品はテレビドラマに向いていると思いました。「ライオン先生」のようではなく、原作に忠実に映像化すればかなりの作品ができるのではないでしょうか。

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2003年11月22日 (土)

「前日島 上・下」 ウンベルト・エーコ

前日島(上) 文春文庫 (文春文庫)

前日島
(l'isola del giorno prima)

ウンベルト・エーコ
(Umberto Eco)

文春文庫 2003.11  

イタリアの記号論学者であり、大作家であるエーコの作品です。4年前のハードカバーの発売以来ずっと読みたいと思っていた作品。

「フーコの振り子」は何度も挫折しましたが、これはかなり読みやすくて無事に最後まで読了できました。

17世紀、海で遭難した男がたどり着いた一隻の船。人の姿が全く見当たらない船だったのだが、誰かが船に潜んでいる気配が感じられた。やがて男は船に潜んでいた神父に出会い、船から見える「島」の話を聞く。その船は子午線のすぐ近くに停泊していて、島は子午線を越えた向こう側にある。つまり、その島は船から見て常に「一日前」に存在していることになる。

メインのストーリーは船にいる主人公がこの島に行こうとするというものと、それに平行して彼の過去が語られるという2本立て。過去の物語は三十年戦争やら、大航海時代やらの中世ヨーロッパ色が満載の内容。当時、各国が子午線の確定をするために激しい競争をしていたことなどがあります。マザランなどの懐かしい名前も大量に登場します。

エーコの書く作品はとにかく「薀蓄」というか、中世ヨーロッパの哲学やら宗教やら科学やら社会やらに関するネタがとにかく、こと細かく書かれているのが特徴で、それがために非常に読みづらいのだ。そしてそこに、「記号論学者」ならではの「モノの名前」と「その意味」との間の哲学的なコメントかなり登場する。挙句の果てには、それ自体が小説にもかかわらず「小説とは何か」などの文学の本質的な問題にもも立ち入る始末。

彼の作品は、「薔薇の名前」などは、それを全て理解するための解説が書かれた副読本が10冊近く出版されていることからも分かるように、作品の全貌を理解するためには、とにかく背景となる知識が百科事典並に要求されるのだ。

この「前日島」もその系統の物語だったのだが、「フーコ~」に比べると物語の部分がかなり面白かったので、非常に読みやすかった。分からない部分も大量にあったのだが、そういうところは読み飛ばしていって純粋に楽しめる一冊でした。

ラストのほう、幻想世界が広がるくだりは圧巻でした。

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2003年11月19日 (水)

映画「シカゴ」

シカゴ

chicago

2002年

アメリカ

ついに見ました!ミュージカル映画ファンとしては久々のミュージカル大作の登場にワクワクです。アカデミー賞の作品賞も納得の作品でした。これを機に色々とミュージカル映画化してくれると嬉しいですよね。「レミゼ」とか「怪人」とか。

ミュージカルシーンの挿入が「舞台」になっているところが映画として新しかったですね。これって「ミュージカル拒否症」の人々がよく言う「人物が突然歌いだす意図が分からない」というような意見に対して与えられた演出なのでしょうか。もともとがボブ・フォッシーの舞台ですから、映画化にあたってはかなり舞台版を意識していたのかもしれません。

ミュージカルナンバーで印象的だったのは腹話術の歌ですね。これ最高!!!人形になっている主人公もいいし、巨大なリチャード・ギアが新聞記者のダンサーたちを操っているのも上手いし。まさに彼の独擅場の記者会見というのを非常に上手く表現していましたね。

あとは夫の歌うセロファンマンが哀しすぎて切なかった。この夫、最後の最後までやられっぱなしですよね。この曲を歌う場面こそ彼の最大の見せ場でした。あと、最初に妻を告発するところの歌も結構よかったかも。舞台上の2人と映画の場面の中の2人の重ね具合の演出がかなりお気に入り。

囚人たちのタンゴとか、死刑執行をマジックショーに見立てるとか、裁判をタップダンスで表現するとか、かなり風刺のきいた作品で、そういう点も面白かったと思います。リチャード・ギアってあんな歌声だったんだね。そしてタップを頑張る姿もなかなかきまってましたね。「プリティ・ウーマン」ではピアノ弾いてたし結構音楽な俳優なんですね。

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2003年11月16日 (日)

映画「SWEET SIXTEEN」 

SWEET SIXTEEN

Sweet Sixteen

2002年

イギリス ドイツ スペイン

イギリス映画界の巨匠ケン・ローチ監督の作品。

主人公は15歳の少年。ヤクの密売人の恋人の身代わりで母親は刑務所に服役中。同居する祖父とその恋人に嫌気がさしてシングルマザーの姉のもとに向かう。彼の望みは、母親、姉とその息子の4人で幸せに暮らすこと。ある日、親友と二人で海辺に建つ売り出し中の一軒の家を見つけ、彼はお金をためてその家を買おうと決意する。そして、親友と2人で祖父の家から盗んだヤクを売り、少年は次第に汚い大人の世界へと足を入れていく。

少年が願うことはただ1つ、「母親と一緒に平和に暮らすこと」である。その目的のために、ヤクを売り始める彼は、自分自身では決してヤクに手を出そうとはしないし、護身用に渡されたナイフも持とうとしないピュアな少年であった。

マフィアのボスにその腕を買われて、暗い世界に足を踏み入れていく少年(目的は家を買うためのお金を手に入れることのみ)、そして裏切られたと感じた親友の行動。そんな弟に無償の愛を注ぎ、育児放棄をした母親との関係を絶って自分と過ごすことを求める姉。息子の思いを感じながらも自分を捨てることができない母親。イギリスの階級社会の底辺に近いところに住む人々の日常を見事に切り取った作品でした。

「ケス」から30年以上経ったにも関わらず、同じテーマで作品を取り続けるケン・ローチ監督の上手さに脱帽です。個人的には親友の少年に一番感情移入をしてしまった。

この作品の前半で、少年が親友と2人で車を暴走させるシーンがあるのですが、そのときにラジオから流れる曲がモーツァルトの「魔笛」の「夜の女王のアリア」でした。正式なタイトルは「我が心に地獄の復讐が煮えたぎる」というもので、大人たちの都合(社会の現実)に振り回された2人の少年の複雑な思いを表現するシーンとしては屈指のできだと感じた。

ラスト、この少年に訪れる悲しい現実、その日が彼16歳の誕生日であることを覚えてくれていた人はいたのでしょうか。タイトルが示すように、16歳の彼には幸せで暖かい人生が訪れることを祈らずにはいられません。大人になった彼を待つのは貧しいけれど、母親を反面教師にして真面目にささやかな幸せをつかもうとする姉の住む世界なのでしょうか、それとも、同じグラスゴーが舞台となっている「トレイン・スポッティング」の世界なのでしょうか。

「やっぱイギリス映画こうでなくっちゃ」という典型的なイギリス映画でした。こういう作品に出会えるのはイギリス映画ファンとしてはこの上ない喜び♪

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2003年11月15日 (土)

映画「バティニョールおじさん」

バティニョールおじさん

monsieur Batignole

2002年

フランス

第2次大戦中のドイツ占領下のパリが舞台。肉屋を営む主人公バティニョールは自分の生活を大切にし、「ことなかれ主義」で、余計な問題に関わろうはしないような普通の中年男。一方で家に居候している娘の婚約者はドイツ軍に媚を売る劇作家で、妻と娘は独軍と関係のある彼を利用して占領下のパリで落ち着いた生活を送ろうとしている。そんな中、その劇作家の通報で連行されてしまった隣家のユダヤ人の息子が命からがらに逃亡してきて、バティニョールは彼をかくまうことになり、彼の逃亡を助けようとする。

主人公が平凡な男で、子供をかくまって逃亡させようとすることになるのだが、これも「自分のところに厄介を持ち込んでほしくないから」というヒロイズムなどとはかけ離れた思いからくるというあたりが、「シンドラーのリスト」などと大きく違った印象でした。

また「戦場のピアニスト」ほど酷なシーンがなく、子供(はっきり言って可愛くない、文句ばっかでやけに良くできた子供)と主人公のやりとりのユーモラスさが全体を包んでいて、このテーマの映画にしてはかなり明るい印象。「ライフ・イズ・ビューティフル」の様に涙のシーンあがあるわけでもなく、とても「日常」的に描かれていたのが新鮮でした。

バティニョールは少年がドイツ人の父親とフランス人の母親の間の子であることを知ったときに、少年に対して嫌悪感を感じます。それは「ユダヤ人」だからではなく、第1次大戦で自分に怪我を負わせたドイツ軍にいた男の息子だから。戦争という状況下の生んだ偏見ではなく「自分」の感情だけを大切にして生きている男が、子供を守るために警察官に向かって「法律を越える正義」を訴える場面はとても印象的でした。

ラストもかなり好印象で、「戦場の~」などのようにリアルさを追求した過激シーンを含むような映画とは対極的に、一般市民が巻きこまれた戦争という現実を「ほのぼの」と描いたこの作品はやはりフランス映画ならではなのかもしれません。

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2003年11月10日 (月)

映画「彼女を見ればわかること」

彼女を見ればわかること

things you can tell just by looking at her

2000年

アメリカ

ロス郊外を舞台に7人の女性の日常を切り取った5話からなるオムニバス。それぞれは独立したストーリーを持ちながらも、1つのストーリーの登場人物が他の物語に脇役で登場し、その後の姿を垣間見せたりする。また、1つのエピソードとして語られることはないが、映画の冒頭で登場する死んだ女性が、全てのエピソードで顔を見せ、「すれ違う全ての人々に物語がある」というようなことを感じさせるよくできた構成でした。

監督・脚本はノーベル賞作家ガルシア・マルケスの息子で、作中に「百年の孤独」がちらりと登場するというサービスも。そして、「蛙の子は蛙」ではないが、この映画は5つのストーリーがどれも上質の短編小説のような仕上がりになっていました。

アメリカ映画にしては多くを語らない演出と脚本で、それぞれのストーリーも見る側が行間を埋めていって初めて意味が現れるような内容になっていました。この映画かなり好きかも。超豪華キャストによる女優たちの競演も見逃せません。この映画では、男性はかなり脇の存在として扱われています。では1つずつ感想を。

「キーナー医師の場合」

年老いた母を介護する女性(グレン・クローズ)が自分の人生を占い師にみてもらう。ストーリーは本当にこれだけです。しかしながら、ぼくは全ての中でこれが一番好きでした。グレン・クローズの演技が光ってました。そして、台詞として語られることのない1人の女性の気持ちが表情や画面を通して静かに描かれていて心に残りました。

「レベッカへの贈り物」

不倫関係にある男の子を妊娠した銀行支店長(ホリー・ハンター)がホームレスの女性から助言を受ける。これもホリー・ハンターの演技が光ってます。彼女も「コピー・キャット」のときは可愛らしさが感じられたのに、段々と老けてきましたね。あと、このエピソードは何気に他のストーリーとのリンク率が高かったですね。

「ローズのための誰か」

隣の引っ越してきた小人症の男性が気になる女性(キャシー・ベイカー)が2人で暮らす15歳の思春期の息子の成長に戸惑う。このエピソードは全5話終了後に描かれるエピローグがとても素敵でした。5話中唯一コメディ要素のある作品。息子の告白には僕も驚いた。

「おやすみリリー、クリスティーン」

第1話の占い師(キャリスタ・フロックハート)とその恋人である死の病に臥す女性の対話。女性のオムニバスドラマということだったので同性愛ものがあるかもしれないと思っていたら案の定でした。「アリー」が同性愛というのもなかなか面白い。5話中もっとも静かで暗い作品でした。

「キャシーを待つ恋」

自殺の調査をする刑事の姉と盲目の妹(キャメロン・ディアス)の物語。自らの容姿に誇りを持ち、自由に生きる妹と仕事に励む孤独な姉の対立、そして、妹に訪れる不幸を描いています。最終話ということもあって、これまでのキャラクターが色々出てきます。脇役で。キャメロンの演技が光ってました。とりわけ、目の見えない女性がエレベーターの中に残された臭いに気づく瞬間の演技はすばらしかったと思います。

第5話の最後、キャメロンが自殺した女性の物語を語ります。1話~5話まで、色々な形で登場していた彼女を思い出していくと、その身におきたことが、ひとつにつながり、エンディングを迎えるという構成がお見事!でした。

それぞれの人生のそれぞれの分岐点に立っている人々が、お互いに顔も知らず、街中ですれ違う。向こうから来る人を見て「あぁ、あの人、幸せそうだな」と感じても、実際にはそれぞれが孤独を感じ、苦しい現実を抱えている。

様々な年代の女性の目を通して、ドキュメンタリーのような静かで優しい視点からそんな人生の姿を描いているように感じました。もう少し明るくてもいいのかもしれませんけれど、この静かさがこの映画のいいところではないでしょうか。

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2003年11月 9日 (日)

「螺旋階段のアリス」 加納朋子

螺旋階段のアリス 文春文庫 (文春文庫)

螺旋階段のアリス

加納朋子

文春文庫 2003.11  

「ななつのこ」で日常生活の中の謎を解決するというスタイルをとった作者の作品で、これもまた探偵事務所を舞台にしていながら、仕事内容は「鍵を探せ」だの「自分が浮気していないことの証明」だの「地下室で電話が鳴っている」といったことばかり。

このスタイルは北村薫の「<私>シリーズ」などにも見られるが、加納朋子の方が抜群に面白く、そしてよく練られていると思う。加納作品の特徴とも言える、「複数の連作短編集が全体で1つの大きな謎を解決する」もしっかりと健在。

この本の面白いところはタイトルが示すように全ての物語が「不思議の国のアリス」をモチーフにしているという点。アリスファンとしては見逃せない設定である。嬉しいことにファンの期待を裏切ることもなくそつなく設定を使っているのも嬉しい。

あと注目すべきは主人公と一緒に探偵助手として働く少女「安梨沙」(アリス+チェシャだと推測される)がかなりメインのキャラなのにその素性その他が全く持って謎に包まれているという点。この辺りが最終話でこの短編集の全体を束ねるような核心部分になってくるのですが、さらっとすぐに読める、なかなか楽しい大衆娯楽小説でした。

加納朋子、なかなか目が離せません。

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2003年11月 8日 (土)

「黄金の羅針盤 上・下」 フィリップ・プルマン

黄金の羅針盤〈上〉—ライラの冒険

黄金の羅針盤
(the golden compass)

フィリプ・プルマン
(Philip Pullman)

新潮文庫 2003.10  

この本は「ハリポタ」ブームの到来に合わせたかのように大量の海外ファンタジーが翻訳されたときに日本に紹介された1冊だと記憶しています。イギリス本国ではハリポタよりも早い出版で、95年の作品です。さらに、ハリポタが第3位にしか選ばれなかった「カーネギー賞」の大賞を受賞しています。

ストーリーは、きわめて我々の住む世界と似ているのだが、魔女がいたり、人々が一人一人「守護精霊」という自分の体の一部のような精霊を持っているといった点でパラレルワールド的な異世界となっている場所が舞台。

オックスフォードの学寮に住む少女が、ふとしたことから神学界や上層知識人たちを騒がせている北極での事件の存在を知り、さらに世間を騒がせている「連続子供失踪事件」を追って、冒険することになるというもの。3部作の第1作ということでとても中途半端なところで終了しています。

うーむ。少なくとも自分にはハリポタの方が面白かったことは確か。ハリポタはそこまで入れ込んでいないけれど、第1巻を読んだときはかなり感心したものだし。同じカーネギー賞なら「トムは真夜中の庭で」のほうがダントツに良いと思った。

キリスト教的な背景がかなり強い作品で「失楽園」(不倫じゃないよ)を題材にしているのが原因かとも考えたが「ナルニア」は面白いのでそういうわけでもなさそうだ。

おそらく、主人公がいまいち好きになれなかったのが原因ですね。かわいくないし、性格悪いし。いつの間にかキーとなるアイテムの使用をマスターしてるし。あと、ストーリーがつかみにくい。登場人物の「善」「悪」も分かりにくいし。

あとは、もっとも作者の独創性が現れた「守護精霊」というアイデアの消化に全エネルギーが注がれていて、全体の流れが分かりにくくなってしまったのかもしれません。でも未完なので、今後明かされる部分で評価が大きく変わるのかも。

作品の一番冒頭で1巻は異世界、2巻は我々の世界、3巻は2つの世界の移動を描くというようなことが書かれてしまっているのも、いまいちのれなかった理由かもしれない。作者が作品の冒頭でネタバレしてどうするんですか!!

ハラハラドキドキするようなできごとの連続というよりかは地味なストーリーなのですが(一応主人公の身には色々な事件がふりかかりますけど)、最後にいきなり深いテーマを突きつけられた感じで、「ほぅ、そう持って行きたかったのねぇ~」な物語でした。

あと、キリスト教文化圏で勝手に聖書の内容を変えたりするのって大丈夫なのかしら(アダムとイブも守護精霊を持っていたということになっている)という心配も残りました。あまり誉めてませんけど、悪い作品ではないし、きっと後世に残る可能性も秘めているのでしょう

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2003年11月 4日 (火)

「黄泉がえり」 日本

黄泉がえり

黄泉がえり

2003年

日本

こういう邦画の大作ってちょっとした脇役でも見覚えのある人が出てるので、いちいち気になっちゃいますね。テレビっ子だし。「アイフル」のおじさんとか、金八先生の成迫くんとか、「僕の生きる道」のPTAの息子役(「ヤンキー母校にかえる」にも出てる)とか、ダチョウ倶楽部とか、「怪傑熟女」のレギュラーだったとか思ってしまうともう集中できません。

とりわけ、良い役してるのに、田中邦衛と哀川翔は登場しただけで連想されるネタが多くて大変でした。あと気になったのは、1分も登場していない田辺誠一。友情出演とか書かれてなかったけど、これだけの為に出たんですか!?という驚きが。安住アナまで何してるんだかという感じでした。フジっぽい内容だけど(「世にも~」のイメージか。)、TBSの製作なんですね。

さて肝心のストーリーですが、確かに良い話なんですけど、登場人物を多く出して、上述したように看板俳優を多数登場させたために、それぞれが中途半端になってしまっているような印象を受けました。

個人的には主人公たち2人のストーリーよりも、哀川&石田夫妻とか田中&忍足、伊東ファミリーのストーリーのほうが気になってしまいました。そちらをクローズアップした映画だったらもっと(×100)泣けたかも。メインノストーリーは「シックスセンス」っぽかったし。

RUIの歌うシーン。3曲は長いっす。せめて2曲にしてほしかったわ。何気にこの曲のシーンにも感動場面がありましたね。考えていたのと逆でしたけど。

ドラマでじっくりとやったほうが面白くなったかもしれませんね。そうしたらこの豪華キャストももっと生かせたと思いました。結局竹内さんはモテモテで心の底から思ってくれる人がたくさんいてそれはそれは良かったですね。な映画でした。原作と映画はちょっと違うんですよね。原作読んでみようかな。

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