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2004年4月

2004年4月30日 (金)

映画「O (オー)」 

「O (オー)」 2001年 アメリカ

シェイクスピアの悲劇「オセロー」の舞台を現代のアメリカの高校生に置き換えた作品。主人公ヒューゴ(イアーゴ)はバスケ部の花形選手である黒人選手オーディーン(オセロー)の活躍に、コーチである自分の父親が自分以上に彼を買っているのではないかと感じる。さらには試合後にMVPを受賞したオーディンが自分ではなく、別のチームメイトをMVPとして指名し、その栄誉を分かち合ったことから、彼への復讐を始め、オーディーンの恋人である学長の娘(デステモーナ)が浮気をしているのではないかという疑惑をオーディーンに植えつけようとする。とまぁ完全に「オセロー」のストーリーでして、スカーフのエピソードもしっかりと登場していました。オリジナリティがあったのは、主人公がオセローに対して持つ感情の原因に、自分の父親の関心を取られてしまっているのではないかという思いが入っているところでしょうか。あとは、舞台となっている私立の学校で唯一の黒人生徒(バスケ推薦)というオセローの立場も人種差別などの観点から見て面白い要素となっていました。あと、イアーゴを主人公にしたことで、彼の追い詰められていく心境が描かれたのも印象的。

オセローの嫉妬は、ブラナーがイアーゴを演じた映画版でもかなりエロティックに描かれていたのですが、この映画では、「おい、高校生だろ・・・」とつっこみたくなるようなかなり激しい描写とともに描かれています。ムコウの子は進んでるのね。でもね、高校生を主役にしてしまったために、最後の展開がちょっとやり過ぎに感じてしまうんですよね。たかだか高校生の恋愛で、そこまで思いつめるとはね、そのくらいでそんなことするかいな。いやぁ嫉妬って怖いですね。嫌ですね~。ちなみにデステモーナ役の子はイーサン・ホークの「ハムレット」ではオフィーリアを演じてましたよね。

大胆な現代翻案をしているのにしっかりとストーリーが原作を踏襲しているのでなかなか楽しい作品でした。この映画、レンタル店ではサスペンスのコーナーにあったんですよね。文芸作品とするには翻案しすぎてますけど、ちょっと微妙な感じ。

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2004年4月22日 (木)

映画「グッバイ・レーニン!」 

「グッバイ・レーニン!」 2003年 ドイツ

恵比寿はいつもいい作品を揃えてますねー。冷戦時代の東ドイツ、父親が西側に行ってしまい、残された母親は、熱心な社会主義の信望者として生きる道を選んでいたが、壁の崩壊の直前に倒れてしまい、壁崩壊の事実を知らずに昏睡状態に陥ってしまう。やがて母親は目覚めるが、わずかなショックでも死に至る可能性があるということで、主人公は、壁崩壊の事実を母親に隠すことを決意して、すっかり資本主義が蔓延してしまった中で、必死に東時代の商品を偽造したり、架空のニュース番組を作ったりするという作品。ある意味、史上最大のマザコン映画なのかもしれない。

まぁ、「なんでばれないわけ?」っていう疑問は多少つきまといますけど、とても良くできた映画だと思いました。途中ちょっと中だるみな感じがあったり、早送りみたいな演出をやたらと多用するのが目に付いたりもしましたが、全体的にかなり好感。東西の統一というと、小学校のときにニュースで見て、その後、中学、高校でその歴史的な意義を学んだりしましたけど、我々にとっては遠い国のできごとという感じがあったのは否めません。統一によって東ドイツという国に何が起きたのかということが描かれ、その点で結構興味深いところがありました。資本主義が入ったことで、本当に一夜にして人々の生活が一変してしまったわけで、衣服や食品、文化などの表面的な面にはすぐに馴染めても、突如奪われた社会的な地位や価値観が慣れるのには時間がかかるんだろうなぁと感じました。日本から近い某国のこともチラリと頭に浮かんだり。同じニュースを流しても気づかないようなニュースとかね。

映画自体はコメディタッチのシーンも多くて、主人公の友達の映画を作る青年がかなりいい味を出してました。彼が自分で製作した映画を熱く語るシーンはかなり笑えたし。他にも、必死で隠そうとしているのにボロが出そうになるときなどのこういう映画ではお決まりの場面も、かなり面白くできてましたね。最後のニュースは圧巻でした。ところで、この映画、結局製作者の社会的な立場はどちらなのでしょう。上手いこと、捻じ込んで、主人公にとっての「理想の国家」という方向に話を持っていてましたけど・・・。

印象に残ったシーンは、巨大なレーニンの銅像がヘリでつるされて飛んでいくシーンと、主人公がとあるパーティー会場でテレビを見てるシーンです。特に前者は映画館ならではの訴えてくるものを感じました。あと、この映画、音楽が「アメリ」と同じ人で、似たような雰囲気の音楽が全編を通して流れてました。

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2004年4月17日 (土)

映画「エデンより彼方へ」

「エデンより彼方へ」 2003年アメリカ

ジュリアン・ムーア主演の1950年代のアメリカを舞台にしたメロメロのメロドラマ。雑誌に記事が掲載されるほど世間の人々が憧れている、某会社重役の妻が主人公。ある日、彼女はひょんな偶然から夫の浮気を目撃(しかも相手は男)、失意に落ちるが、そんな彼女も黒人庭師の存在が気になり・・・。みたいな内容。舞台が1950年代ということで、同性愛、黒人ともに、かなりのタブーだった時代。誰もが憧れる天国のような生活にいた彼女が、そこから彼方の方向へと離れていく様子を描いていました。まぁ「アメリカン・ビューティ」1950年代版みたいな感じでしょうか。この映画は舞台となった50年代に合わせて、古い50年代の映画の手法をたっぷりと取り入れています。タイトルやエンドロールの出し方も昔の映画っぽいし、照明の使いかたや音楽がまさに古い映画そのもの。一点からだけ照明をあてることで影を作る「フィルムノワール」の手法とか、やたらとオーバーに盛り上がるBGMとかが物語を盛り上げていました。

ストーリーも往年のメロドラマを感じさせるものなのですが、同性愛や人種差別、コミュニティの中の人間関係、イジメなど当時のメロドラマでは決して扱わなかった題材がテーマであるというのが、この映画の面白いところ。決してただのメロドラマでは終わっていません。ところで、当時は同性愛は病気として扱われていたんですね。知りませんでした。あと、主人公の子供たちの扱いがあまりにも冷たいと思いました。はっきり言って、あの家の子供たちは親から全く愛されていないと言っていいでしょう。あの親たちは自分のことしか見えてないんですよね。かわいそうに。慈善事業してる場合じゃないっつーの。それにしても、ジュリアン・ムーアの役どころは「めぐりあう時間たち」と被りまくりでしたね。この2つは同じ時期に公開されたはず。物語が途中で入れ替わっても全然つながるんじゃないかと思ってしまいました。彼女の演技はかなり光ってましたよ☆

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2004年4月16日 (金)

「パレード」 吉田修一 

パレード (幻冬舎文庫)

パレード

吉田修一

幻冬舎文庫 2004.4. 
  

2年前に「パークライフ」で芥川賞を受賞した作家の長編。千歳烏山のマンションでルームシェアをしている5人の若者描いた作品。市谷のH大に通う先輩の彼女を好きなった21歳男、芸能人の彼からときどきかかってくる電話を待ち続ける23歳女、オカマバーを中心に深酒中のイラストレーター兼雑貨屋店長の24歳女、「夜のお仕事」に従事する身元不明の18歳男、四ツ谷の映画配給会社に勤めるみんなの相談役28歳男の5人のそれぞれの視点で描かれた5つの章で構成されていて、各章が時系列でつながっているので、前後の章で伏線があったり後日談があったりする構成。

さて、先日読んだ「きょうのできごと」(柴崎友香)は健全な若者たちののほほんとした日常を切り取ったような感じもする作品でそれはそれで居心地のよいものだったんですけど、この作品は、もと登場人物たちが人間的でそれぞれが「自分が主役の宇宙」で生きているといった感じを上手く描いています。

5人の共同生活が上手くいっているというのは、かなり難しいことですが、彼らは、互いにこの生活を、チャットしてるような匿名の感じにたとえたり、「この部屋にいる自分」を演じているのだと感じたりしていて、それぞれが、自分たちの関係を希薄に捉えている(表面上はかなり親しげにしている)というのがポイントであり、この作品の主題のひとつ。さらに、5人が見た自分たちの暮らしやお互いの印象というののギャップなどもとても上手く描かれていてまさにみんなは自分が主人公の宇宙を生きているという感じを受けました。

解説で川上弘美(これは買ってから気づいて、ちょっと嬉しかった)が書いているように、読後感はひたすら「こわい」。どのように終わるのかというのがとても気になるストーリーで、最終章である第5章にかなりの山場が持ってこられていて、その余韻も覚めやらぬまま作品が終わってしまうので、読後感はひたすら「こわい」です(まぁこの山場も途中で予見できたんですけどね)。

で、第5章を読み終わると、5人のそれぞれの視点を全て通してみたことになるので、もう一度最初から読みたくなります。で、すぐに2度目も読みました。2度目はそれぞれの心の本音を知っているので、第1章からかなりの読み応えがあって、この作品は解説で書かれている通りに読む度に違う「こわさ」を味わうことができます。3度目読んだときの「こわさ」は恐らく、自分も主人公たちと一緒なのではと思ってしまう怖さなのでしょう。

そんなこんなでかなり面白い1冊でした。あと、面白かった点として、都内の行った事ある場所の描写が多かったところですね。知ってる場所が出てくると、その場面を想像しやすくなって、作品の奥行きが一気に広がりますよね。

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2004年4月14日 (水)

「ささら さや」 加納朋子

「ささら さや」 加納朋子 幻冬舎文庫

今月の新刊です。前から気になっていた作品なので文庫化に当たって早速購入。今回も加納朋子お得意の連作短編です。1つ1つの完結した短編で構成されているのに、全体で1つの長編にもなっているという構成の上手さは相変わらず。

ストーリーは、交通事故で夫を亡くした主人公が生まれたばかりの息子を連れて、田舎町に引越し、様々な小さな事件に巻き込まれるのを、幽霊になった夫が、映画「ゴースト」ばりに霊感のある人々の体を借りて助けにきてくれるというもの。ここで起こる事件は、加納朋子の最も得意とするジャンルであろう、日常の不思議で、宅配便で送られてきた空っぽの箱の正体が何かとか、そういうレベルのもの。これまで読んできた加納作品と比べると、謎解きに関してはっとさせられるような細かい伏線の張り方が見られず、ちょっと物足りない感じ。さらにいうと、先に述べたあらすじからも感じられますが、「馬鹿ッサヤ(主人公の名前が「さや」)」とか言って死んだ夫がいつも助けに来てくれるとかいう設定が、「王子さま願望」みたいのの塊のように感じられ、極めて女性中心のファンタジーという印象を受けてしまい、あまり楽しめませんでした。この作品はかなりキラキラ目が輝いている画風でコミックになっているようなので、そういう要素が強い作品なのでしょう。登場人物も8割女性だし。

加納作品はやっぱり創元推理文庫の3冊が一番面白いですねー。個人的には「ななつのこ」の衝撃が強かったので、それを越える作品が出るのを期待しているんですけど、どうなのでしょうか。

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2004年4月 9日 (金)

映画「アバウトシュミット」

「アバウトシュミット」 2002年 アメリカ

昨年のアカデミー賞で色々と候補に挙がっていた作品です。2年前にアメリカで公開されたときからずーっと見たかった作品で、ついにビデオで見ました。

定年退職したシュミット氏は、典型的な中流の生活をしていて、定年後、家では年老いた妻の姿をわずらわしく思い、なんとなく会社に立ち寄ってみたら、自分は既に過去の人の扱い、そんななか娘はわけの分からない男と結婚しようとしてるという、とんでもない状況が待っていたというお話。さらに妻が急死してしまい、彼が1人で旅に出て、自らの人生を問う様子を、彼が義父となったアフリカの貧しい子供に手紙を差し出すという形式で描いていました。基本的に静かなコメディなのですが、定年を迎えて人生の路頭に迷う中年男性をジャック・ンコルソンがこれでもかというほどに見事に演じてて、この映画はほとんど彼の独擅場です。ハリソン・フォードとかの渋くてかっこいいおじさんじゃなくて、彼のような、味のある中年だからこその映画ですね。そして、終盤の20分くらいしか登場しないのにアカデミー賞にノミネートされたキャシー・ベイツもあいかわらず良い味出してます。ミザリーのときの怖いおばさんとは打って変わって、教養の無い欲求不満の中年女性を面白く演じていました。

定年なんて、スタート地点にも立てていない僕にはまだまだ先の話。40年後くらいにもう一度見返したらきっともっと深く味わうことができるんだろうなぁ。ひたすら「おい、マジで?」みたいな微妙な顔をするニコルソンがラストで感情を思い切り出す顔をするのですが、そのシーンのためにその前の2時間があるといっても過言ではないですね。クスリとさせるシーンもあって予想通りになかなか楽しめる作品でした。それにしても娘は絶対に結婚相手を間違えていますよね・・・あと、こんな深刻手紙ばかり送ってこられるなんて、いくらお金くれるからってこの養父はちょっと嫌だぞ。

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「密やかな結晶」 小川洋子

「密やかな結晶」 小川洋子 講談社文庫

昨年出た「博士の愛した数式」という本が気になっている小川洋子の書いた長編。99年に出版されてから重版されてないようで、割と入手が難しい1冊でした。2月に読んだ「偶然の祝福」よりも物語性が強い1冊でした。小川さんは川上弘美さんが愛読しているとかで、割と気になる作家ですね。芥川賞をとった作品は未読ですがいつか読んでみようと思います。

この作品は、とにかく設定が命の作品。とある島が舞台になっていて、その島では、ある日突然、ある品物に関する記憶が人々の頭から消失するという現象がおこります。「バラの花」が消失した日には、街中のバラの花が風邪に飛ばされて川に流されてしまい、人々の頭の中からは、バラの花の姿や香がどんなものだったかということも失われ、それ以降は、バラの花に関して何か特別な感情を持つこともなくってしまいます。このようにして、様々なものの記憶が失われていくこの島では、「失われたものを記憶していること」は罪になり、たまに現われる記憶を失わない人々は秘密警察に連行されてしまう。主人公である作家は、母親を秘密警察に連行されてしまい、1人で暮らしていて、彼女が近所の老人と一緒になって、記憶を保持できる編集者の男を自宅の隠し部屋にかくまうというのがメインのストーリー。この作品では、記憶が消失する日の朝というのをとても印象的に描いていて、先に出したバラの場面なんかはとてビジュアルを感じることのできる描き方をしていました。

秘密警察というのが、ホロコーストを強く連想させるような描き方をされていて、隠し部屋のくだりは、「戦場のピアニスト」そのまま。架空の出来事を描きつつも、こういう現実に起きた出来事を描いていて、なかなかの緊張感のある作品でした。本当にストーリーもとてもよくできていて、アイデアも素晴らしい作品なのですが、語り手である「わたし」の立場が不明瞭(物語中では記憶を失っているのに、語り手は記憶を失っていないとか)だったり、記憶を失うという度合いの設定が曖昧な点があって、この面白い設定を消化しきれていないような印象もありました。50ページくらいの短編でも描けそうな内容を400ページ近い長編で描いていて、なかなか内容も盛りだくさんなだけに、こういう部分がとても残念ですね。個人的には、作中で主人公が書く小説がとても好きでした。

「記憶」って何でしょうね。この作品における記憶の失い方をすると、例えば、「木」に関する記憶を失ってしまえば、木が何のことだか分からなくなって、それを見れも何も感じなくなるとのこと。つまり「空気」のような存在になってしまうのでしょう。目には見えないし、誰も気にもかけないけど、世の中は素敵なもので溢れているんだよ、というようなメッセージが聞こえてきそうな作品です。記憶を失わない人と、主人公とが失われたものについて語る場面はとても印象的で、もしかしたら、現実にいる自分たちも何か大切なものを失ったまま気が付いていないのかもしれないなぁとか考えたりしました。

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2004年4月 7日 (水)

「虹の天象儀」 瀬名秀明

「虹の天象儀」 瀬名秀明 祥伝社文庫

この本は恐らく初版以降ほとんど重版されてなくて、書店で探すのにかなり苦労した1冊。「パラサイト・イブ」や「八月の博物館」などのハードに理系なSFを書く瀬名氏の中篇。渋谷のプラネタリウムに勤務する主人公が、プラネタリウムが閉館する日に現われた不思議な少年によって、時を越えるという内容。瀬名氏はかなりの藤子Fファンで知られてますが、「八月の博物館」と似たような雰囲気で、藤子のSF短編っぽい色合いが感じられる作品でした。この作品では、何よりも、プラネタリウムの投影機が主役であると言えて、その開発の歴史や、投影の原理なんかがかなり詳しく説明されていました。プラネタリウムの原理なんて全く知らなかったので、結構興味深く読んでしまいました。読み終わると、無性に星空を仰ぎたくなるような1冊でした。

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2004年4月 3日 (土)

「中二階」 ニコルソン・ベイカー

「中二階」 白水Uブックス ニコルソン・ベイカー

割と新しいアメリカの実験小説。とある会社員が昼休みに切れてしまった靴紐を買いに出かけ、エスカレーターに乗って中二階にあるオフィスに戻るまでに彼の脳裏によぎった全ての思考を200ページほどかけて描く作品。筒井康隆的な面白実験小説の手法で、土屋賢二の頭が良い人の書いたどうしようもなく下らない思考を書いたような雰囲気の1冊。読んでる最中は抱腹絶倒の面白さでした。電車の中で声だして笑ってしまったし(怪しい人だね。)。この本の最大の特徴は200ページ弱のうち、その半分ほどが「注」で成り立っているという点。とにかく注が多い本です。「ストロー」が出てくれば、注で自分がストローに関して思うことを述べたり、自販機(紙コップの)が出てくれば、そのコーヒーのところに書かれている「カップ&ソーサー」の図に関して思うところを、注で2ページ以上に渡って述べたりする始末。この作品では「注」は本編以上に意味を持っているともいえるほどの内容の充実ぶりです。

この小説、主人公の思考がとにかく細かい&具体的&うなづける&笑えるものなのですよ。例えば、彼は靴紐を結ぼうとして引っ張った瞬間に切れてしまったときの感覚を、予測に反する事態が起きたことの例としていくつかの事柄を引き合いに出すのだが、その中の第1番目として「階段の1番上まで上ったのに、まだもう1段あると思い込んで激しく足をうちつけてしまったとき」というものを出してきます。これを読んだ瞬間、「わかる~!!!」と思って頷いてしまい、ニヤニヤしてしまいました。他にも、お互い顔だけは知ってるんだけど、話したことが無い人とすれ違うときの微妙な感覚や、トイレで隣に人が来ると用を足しにくくなるときの感覚なんかをかなり細かく表現して説明します。

さらに、「感覚」だけでなく、「ストロー」が出てくれば、昔の紙のストローの思い出からはじまって、プラスチックのストローに対する不満がかなりのページ数で描かれるし、トイレの洗面所が、ペーパータオルから温風乾かし機に変わったことによって、「30秒近く物乞いみたいに手をこすらなくてはならなくなった」ことに文句をつけ、温風器の会社の経営戦略のことなどを10ページ以上かけて述べたりして、ホチキス、牛乳パック、ポップコーンなど色々な商品に関する、はっきりといえばどうでもいいような思考の数々が繰り広げられます。

この主人公の様々な思考のほとんどが「あぁ、共感できるよ~」というものだったので、ページをめくるのが楽しくて仕方の無い1冊でした。普通に笑える小説なので是非読んでみてください。こういう、とことん、追求して、論理的(?)な説明をつけようとするあたりがアメリカの小説っていう感じがしますよね。これほど、ベクトルが内に向かっている作品も珍しいのではないでしょうか。作品の全てが主人公の思考だけで成り立ってますからねぇ。実質に現実に起こった事実だけを書けば2,3ページで終わるような本ですし。あと、この本は何気にアメリカ文化史的な要素もかなり多いので、そういう点でも楽しめるかも。

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