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2004年10月

2004年10月28日 (木)

映画「ナイトメア・ビフォア・クリスマス ~デジタル・リマスター版~」

「ナイトメア・ビフォア・クリスマス ~デジタル・リマスター版~」

日本での公開10周年を記念してかの名作がデジタル・リマスターされて先週から再び劇場公開されています。しかもミニシアターではなくて拡大公開。かねてからのナイトメアファンの僕はどうせならできる限り大きな画面でみたいと思い調べたところ、近場で一番大きい劇場での公開は明日までとなっています(明後日からはその横の規模の小さな劇場に移動するらしい)。これは今週中に見に行かなくてはいけないと思い(ハロウィンは今週だしね)、頑張って授業の前に見に行ってきました。

この映画、軽く説明すると、「シザー・ハンズ」や「ビッグ・フィッシュ」などのティム・バートン氏が作った作品で、全編を粘土を使ったストップモーションアニメで撮影してる映画。この手法で90分近い作品を作るのも驚きだが、クオリティが極めて高くて、やっぱりCGよりも本物だということを再認識。あとはティム・バートンの趣味が全開の世界観のとにかく素晴らしい!!!

ストーリーは、ハロウィンを祝うことだけに特化した人々が暮らす「ハロウィンタウン」が舞台。彼らは化け物の姿かたちをして、年に一回ハロウィンの王者を決めるためだけに1年間いかに恐怖を演出するかを考えて暮らしている。そこに住む青年ジャック(ハロウィンの王者)がある日、ひょんなことからクリスマスの街に迷い込んで、人々が歌い、笑い、幸せに満ち溢れた光景にショックを受け、ハロウィンタウンでもクリスマスを行おうと提案。しかし、ハロウィンの住民がプロデュースするクリスマスは一筋縄ではいかなかった・・・・。というもの。

一応ディズニー提供なんですけど、全体にグロい空気をディズニーが嫌がったために、長い間ディズニー系列であることは声を大にして語られることもなく、D社は上手くそれをごまかしていました。しかし、ここ数年、ナイトメア人気の高まりに気をよくしたのか、ディズニーはいきなり堂々とキャラグッズの販売やテーマパーク進出をし始めました。売れるものは逃がさない見事な商魂です。でも、ティム・バートンはもともとディズニーのアニメーターですからね。ディズニーにいるときに作った実写短編は年齢指定をつけられてしまって公開させてもらえなかったらしいですね(今回はなんとその短編まで同時上映!確かにグロいシーンはあったけど・・・)。その後、ディズニーを辞めて映画監督として華々しくデビューした彼がこの映画の企画を立てたとき、その内容に賛同が得られず、制作してくれる会社が見つからず、そこに助け舟を出したのがかつての古巣だったという裏があるみたいです。その割りに扱い悪いですけど。

まぁ、裏話はともかく、この映画、やっぱり大画面で見ると違いますね。映画の世界にどっぷりつかることができました。CD聞きまくったから歌も一緒に口ずさめるし。ミュージカルシーンがほとんどなのに、それがまた、人形アニメとか一見怖いキャラとかとのバランスをとるのに一役かってますよね。ていうか作曲者の人、何気に声優もやってるし、歌も主役の歌吹替えをして2役分歌ってます。多芸ですねー。サンタさんを誘拐する3人組、キャラも歌も大好きなんですけど、この映画で一番すきなのはやはり、恐怖のプレゼントをもらって逃げ惑う子供達。絶叫して両手を上げて走り回る様子がとにかく可愛い!!とにかくグロくて可愛いという絶妙なバランスのとれたキャラが素晴らしいですね。ナイトメアグッズに手をだそうとしたことも何回もありますけど、これはきりがなくなると考えて思いとどまってるし。

この映画、結構考えさせるテーマも盛り込まれていますよね。隣の芝は青く見えるけど、自分らしさを失わずに、自分のよさに気づこうよ!っていうのが感じられます。そのほかにも色々と深い洞察ができる要素も多くて、ティム・バートン万歳!です。

映画見ながら思ったこと。この作品、舞台化してもいいかもしれませんねー。ティム・バートンが完全にプロデュースしたら、素晴らしい舞台になると思うんですけどね。

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2004年10月27日 (水)

「神様のくれた指」 佐藤多佳子

「神様のくれた指」 佐藤多佳子 新潮文庫

「しゃべれどもしゃべれども」が割りと面白かったので結構期待してたんですけど、最後まで読めませんでした。途中からはまれるかもと思い結構我慢して読み進めたんですけど、完全に挫折。物語は出所した早々にスリ事件に遭遇し、その若さに見あわないチームワークに驚き、犯人のスリグループを追うスリ師の男と、ひょんなことから彼と同居生活を始める女装タロット占い師の青年の2人を主人公にしたもの。この作品の何が自分に馴染めなかったかを考えたんですけど、この作者の書くキャラクターは基本的に皆があまりにも「いいひと」なんですね。「しゃべれども~」は、そういう性質がプラスに働いて面白く読めたんですけど、この作品は基本的にアウトローな人々を主人公にしているため、彼女のキャラクターたちの「いいひと」っぷりが浮いてしまうのが原因ではないかと思いました。もともと児童文学を書いている人なので主題やストーリー展開をはっきりとさせて物語を進めるだけに、この妙なちぐはぐ感が際立ってしまったように思いました。あとテンポが遅いのも苦手だったのかも。珍しく読了できなかった本レビューでした。

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2004年10月23日 (土)

ミュージカル「ミス・サイゴン」@帝劇

ミュージカル「ミス・サイゴン」@帝劇

今日はミュージカルを鑑賞してきました。「レミゼ」と同じ作詞・作曲によるミュージカルで、「レミゼ」同様に全編全ての台詞が歌になってます。ストーリーは、オペラ「蝶々夫人」をベトナム戦争を舞台に置き換えたもので、戦時下のベトナムでアメリカ兵と恋に落ちた女性キムが主人公。やがて戦争が終わり、アメリカ兵が帰還するとき、キムは彼についていこうとするものの運命の歯車によって2人は引き離される。3年後、キムは彼との間に生まれた子供を育てながら、彼との再会を夢見ていたが、同じ頃、アメリカで暮らす彼には2年前に結婚した妻がいた・・・。というストーリーを主人公キムが勤めるキャバレーをとりしきる男を狂言回しにして語られる。

今日のキャスト、狂言回しの男が市村正規、主人公が松たか子という割と「あたり」なメンバー。市村氏を含め、恋人役の男もその友人も四季出身の方でしたね。そういう意味でもチームワークがあったのかもしれません。役者さんたちがなかなか良い味を出していました。歌うまかったし。市村氏の役は別所哲也とか筧利夫もキャスティングされてるんですけど、今日見た感じだと市村氏以外には考えられません!非常にはまってました。そして一番良いなぁと思ったのは岡幸二郎氏。2幕の一番最初にソロで歌う曲、かなり上手かったです。こんなに満員の劇場であれだけ歌ったら気持ちいいだろうなぁ。松さんは4年暗い前に見た「ラマンチャ」のときよりは格段に上手かったですけど、やはり声量がいまいち足りない気がします。残念。あと、セクシーなシーンはあまり似合わないですね、やっぱり。

このミュージカル、かなりアメリカが悪く描かれていていると思ったらやはりロンドンが初演ですね。いきなりアメリカでこのストーリーは厳しいでしょうからね。主人公は現地妻とその子供ですからねー。割と社会派なストーリー、めくるめくスピーディーな展開、実物大のヘリが舞台上方から飛んでくるスケールの大きさ、そして本当に綺麗なメロディの数々と生で見るミュージカルをどっぷり堪能できた3時間でした。大満足。

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2004年10月21日 (木)

「冬の夜ひとりの旅人が」 イタロ・カルヴィーノ 

「冬の夜ひとりの旅人が」 イタロ・カルヴィーノ ちくま文庫

カルヴィーノの本もこれで6冊目(だと思う)。好きな作家は?の質問にオースターと答えている自分ですけど、着実にカルヴィーノ作品への高感度はアップし続けています。さて、この本ですが、非常に面白い書き出しです。「あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている。」こんなの読んだことありますか?

この本、その後、2人称である「あなた」が本を読み始めるまでのことをつらつらと書き、ようやく「冬の夜ひとりの旅人が」というタイトルの章がスタートします。ところが、30ページもしないうちに物語は中断。ここで「男性読者」という名の主人公が登場。どうやら彼はこの本を読みはじめたものの、本の落訂で続きが無いようなのだ。その後彼は書店へ赴き、新たな1冊を手にいれる。そして読み始める。ここで再び30ページほどの物語が挿入。で、これはどうみても先ほどの物語とは別物、このようにして読んだ物語の続きを求めて色々なところへ赴く男性読者の冒険を描きつつ、30ページほどの様々な物語の冒頭部分が10篇挿入されている(物語の続きを求めて入手する本は全て別の本でしかも尻切れトンボ)というかなり凝った構成。

挿入される10篇の物語全てが普通に面白くて、登場人物の男性読者ならずとも続きが気になるようなものばかり。カルヴィーノ氏に是非続きを書いてもらいたい(既に故人ですが)。そして、「男性読者」の物語は、やがて「女性読者」の物語と交差し、さらにそこに作家自身、読者である我々までもが顔を出す始末。「小説とは何か?」を徹底して追及していく、そんな作品。

カルヴィーノ氏は作品ごとで様々なスタイルで実験風の構成を創出していて、さらにそこに物語の面白さがあるというのが傑出した才能だと思います。「見えない都市」では、互いに言葉が通じない2人が身振り手振りでやりとりする物語を描いて、物語とは「読み手」の想像上の産物にすぎないのかもしれないと感じました。さらに「宿命の交わる城」では、口のきけない者たちが、タロットカードを並べてそこから物語を綴っていくという設定でした。ここでも記号の解釈、「物語」の創出ということに深いメスをさしているなぁと感じました。

そしてこの作品。「読もう」とする読者の期待を裏切り続ける作品です。よく考えれば、「未完」などと注意されていない場合、ほとんどの場合に私たちは「最後まで読むことができる」という前提を知らぬ間に持っているような気がします。そんなことはどこにも保障されていないのに勝手に妙な安心感を前提にしてしまっているわけです。

先の2作品では読み手の想像という能動的な行為が物語を作っていく、つまり読み手が知らぬ間に語り手になっている、様子を描いていますが、多くの場合、多少の想像力を働かせつつも受動的に読書することのほうが普通ではないでしょうか。そうして物語の続きを追い続けているうちに自分自身がひとつの物語の主人公になってしまう(ここでも「読み手」が物語を産出してるんですね)という状況。あるいは、中途半端に終わってしまう10篇の物語、読者には本来、その先を想像し創造していく力が備わっているはずで、無限の数の「冬の夜ひとりの旅人が」がこの世には存在しうるのかもしれません。

そうすると、そもそもの小説の「書き手」の仕事とは何なんでしょうか?そして「物語」とは?「小説とは?」と色々なことを考えさせられる作品でした。

かなりお気に入り。

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2004年10月20日 (水)

「Get Away From Me」 ネリー・マッカイ

「Get Away From Me」 ネリー・マッカイ

今日発売の中で僕が一番注目する1枚。これがデビューとなるNYの20歳の女性です。プロデュースは何気にビートルズの人だったりします。メロディを聴くと、かなりミュージカル調な曲が多いし、中にはジャズテイストの曲とか、キャバレー系の曲、フレンチポップな感じの曲など、明るい曲も短調の曲も、徹底してエンターテイメントを感じるような曲ばかり。しかし、このメロディに載せられる歌詞を見てみると、「女性版エミネム」などと評されるほど毒の強い内容なんです。普通にアメリカの「子供が買うときは注意」のマークがついてるし。でも、ドラッグとか性を扱った内容というよりかは、政治(特定の固有名詞出して揶揄したり)、自身のバックグラウンドでもある貧困などにするどいメスをさしている社会派です。あとは「生きかた」そのものにもするどいメスを刺しています。さらには、明るいミュージカル調で「自殺」について歌ったりします。

この音楽と詞のギャップが彼女の最大の特徴。そしてその完成度の高さに驚きです。すごいです。音楽だけ聴けば、普通に大人向けなジャズ好きなひとかも好みそうな感じで、ノラ・ジョーンズとかとも比較されても良い感じなんですよね。以前も書いたんですけど、洋楽を聴く人の大半は詞にまで注目してないと思うんですよ。そういう人にはつまらない1枚なのかもしれませんね。

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「アンリトゥン」 ナターシャ・ベディングフィールド

「アンリトゥン」 ナターシャ・ベディングフィールド

イギリスのナンバー1女性アーティストです。昨年の年末に2003年の心に残った洋楽アルバムの2位にあげたダニエルさんの妹。兄のほうが僕は好きなのに、何故か日本でCD出しません。兄のほうもUK1位だったのになぁ。妹さんも、お兄さんのように色々なジャンルの音楽を融合させた感じで芸の幅広いですね。ちょっと思ったんですけど、海外の女性ソロ歌手ってやたらとコーラスを重ねたりエフェクトかけたりしませんか?自分の生声だけで歌い上げてる人はかなり少ない気がします。なんでなんでしょ。

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2004年10月18日 (月)

「母の発達」 笙野頼子

「母の発達」 河出文庫 笙野頼子

芥川賞受賞作の「タイムスリップ・コンビナート」(文春文庫)もマグロから電話がかかってくるというかなり突拍子のないお話だったのだが、この作品は、その想像力と言葉の力にただただ圧巻されるばかり。こんな物語を書ける人がこの世の中にいるのかと言葉を失って呆然としてしまう1冊です。

作品は全部で3つの章からできていて、それぞれが「母の縮小」、「母の発達」、「母の大回転音頭」となっています。この時点でこの作品は何かが違うと感じられます。で、内容は、母との関係が上手くいっていない女性が主人公で、彼女は三重県人特有の気質を持っています。思春期のある日、彼女は母が縮小して見えるということを体験するわけです。縮小した母はいつの間にかチャーリーという外国人になったり、男性になったり、小さなサイズで踊りだしたりするものの、その存在はやはり彼女の母親。第2章では、主人公は49歳、殺してしまった母が復活、呼びかければ「げべげべ」などと答え、人を食べ、大量の母虫を生み出すようになる。やがて主人公は「あ行」~「ん」まで50音の母のエピソード作り始める。例えば、『「あ」のおかあさんは悪魔のおかあさん』という具合に50種類の母親を創出し、それぞれの母親のエピソードが語られることになる。そして第3章では世界旅行を終えて家に帰った主人公の前に再び母が現われくるくると回転を始めてフィナーレを迎える。

ストーリーの最後まで書いても全くネタバレにならないという不思議作品です。シュールとかを通り越した存在かと思います。母の死を告白する場面の台詞は「母が死んだのですっとてちてたっ」ですよ、で、さらに「はーい、きゅーうに死んだのでーす、ずちゃちゃずちゃちゃ。」と続けるんですよ。割と全編このテンションで180ページ。作品の半分は50音の母親のエピソードを作る部分(本当に50個でてきます)なんですけど、その中の「るの母親」が個人的にはかなりツボでした。大量に存在する「るの母親は」草野真平の詩集につかまったそうです。そんなこんなでとにかくハチャメチャなんです。しかし、それなのに、全体を通して一貫する力強さがあるし、ストーリーもテーマも深く感じられるというもうスゴイとしか言いようのない不思議なパワーがあるんです。

どうやら、ここで言う「母」とは、「母」という言葉の持つ意味そのもののようで、「母」という単語のもつ意味を究極に追求し、それを遊び倒すというのがこの作品のとった手法かと。で、1つの大きなテーマとして、「エディプス・コンプレックス」の母親版、娘が母親を心の中で殺してしまうという現象を扱っているのではと。現代における「母」という役割、そしてその言葉の持つ意味にするどいメスを刺すような作品。もう笑い転げそうなくらいなハチャメチャな文章と内容なのにこれらがしっかりと感じられるんですよ。読書好きにはかなりオススメかも。苦手な人は全く読めないかもしれないけど。

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2004年10月15日 (金)

「パークライフ」 吉田修一

「パークライフ」 吉田修一 文春文庫

吉田氏の芥川賞受賞作が文庫化しました。日比谷公園を舞台にして現代人の都会に暮らす人々の希薄さを描いた作品。主人公は夫婦崩壊の危機にあって2人とも家を出てしまった友人宅で留守番兼ペットの猿の世話をしている。昼間はサラリーマンをしている彼は昼休みを日比谷公園で過ごすのだが、ある日、ふとしたことで1人の女性と知り合い彼女と昼休みを過ごすようになりスタバに行ったり、写真展に行ったりするようになる。

すべての登場人物が自分の居場所を探しているような作品。近頃よくある作風で大きな問題提起を何もせずに淡々と日常を描くタイプの小説なのだけど、「深そうなテーマ」は大量に散りばめられている作品。主人公は最後まで公園でともに昼休みを過ごす女性の名前すら聞かない。こういう匿名の人間関係ってネット上に存在するようによく言われているものだけれど、現実世界でも十分起こりうるわけで、匿名だからこそ色々と語り合えるということもあるんですよね。出版社の宣伝とかにはこの2人の恋がどうのこうのと書かれているのだけれど、明らかにこれは恋物語ではないですよね。恋がどうのと書けば売れるんですかね・・・。

あと、この作品の特徴はひたすら固有名詞が多いということかもしれません。スタバがこんなに使用される小説は初めてみたかも。固有名詞が多いということはそれだけ読者の想像力を限定していくわけで、読者はそれに代わって知識が求められるようになると思います。そうなるとその固有名詞がピンと来ない人には作品の把握が難しくなってくるわけで、そういう意味でこの小説は読者を限定するものだと思います。スタバとかも単に都会風なものの記号として出てくるわけではなくて、「スタバの味が分かる」ということがどういうことかを理解しなければいけないわけですからね。

率直な感想は改めて芥川賞の選考基準がよく分からないことを再認識したということでしょうか。けっしてつまらないわけではないし僕は嫌いじゃないですけど、「蹴りたい~」「蛇を踏む」「日蝕」そしてこの作品に一貫性はないと思われるわけですよ。これはどちらかというと「蹴りたい」系ですけどね。ちなみに同じ作者なら断然「パレード」(幻冬舎文庫)のほうが面白いですねー。読むたびにゾクゾクの種類が変わるというとても不思議な作品。3回くらい読むの、かなりオススメですよ。

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2004年10月 8日 (金)

映画「アラジン」 

「アラジン」 1992年 アメリカ

この映画、映画館で見た以来なので10年以上ぶりに見返しました。当時は小学生だったので普通に絵が綺麗なのと、純粋にアニメ映画を見る感じで見ていたし、ストーリーとかに夢中だったので細かいところまで配慮して見てなかったので、今回、色々と細かいところの面白さに気づきました。ロビン・ウィリアムズの面白さはもはや言及するまでもないですけど、それと同じくらいに各動物キャラと絨毯もいい味を出してますねー。ランプの精の繰り出す細かいギャグをかなり地味にサポートしているのが笑えました。恐らくディズニー映画では最も脇役が魅力的な作品ですね。絨毯に感情を与えて見せるのは、かつて箒に感情を与えたディズニー本人の精神を見事に引き継いでます。あと、姫の父親のダメっぷりも個人的にはかなり好き。

ストーリーとしては、割とひねられたオチが上手いなぁと思いました。意外と伏線が多い。あと、割と教訓っぽいお話だったのも新たな発見。昔は思わなかったけど主人公は自らの生い立ちを理由に多少の軽犯罪は許されると思ってるのがちょっといただけないかも。しかし、そんなことよりももっと大きな不満といえば、昔話系物語ファンとしては原作の舞台は中東じゃなくて中国なんだよってことを強調したい!!まぁ、細かいこと考えなければ、作品自体はかなり好きですけど。あと良く考えてみたら、男の子が主人公の御伽噺はディズニーでは珍しいですよね。どうアタックすればいいのか悩む姿とかはお姫様系のストーリーでは見られないですし。ターザンとかヘラクレスとかでもここまで恋に悩む姿は描かれてなかった様に記憶してます。

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2004年10月 4日 (月)

「ラジオデイズ」 鈴木清剛

「ラジオデイズ」 河出文庫 鈴木清剛

「ロックンロールミシン」などで知られる某ギャルソンの元社員という作家さんのデビュー作。20代になったばかりの工場勤務の主人公前に、小学校時代のクラスメートが現われ、1週間だけアパートに居候させてくれと頼んでくる。子供時代、金持ち&ジャイアン的キャラだった彼に対して好意を寄せていない主人公だったが、半ば強引に同居生活がスタート。2人の暮らす1週間を主人公の恋人との関係を絡めて描いた作品。大人になりきれない若者が、突如現われた古い友人によって、自らの人生を見つめ直すんですけど、近頃小説やら漫画やらでよく見かける「何も起こらない」作品のシリーズの1つ。でも、この作品では「日常もドラマになる」ということを実感させるような内容でもないし、本当に淡々と切り取ることで、主人公の乾いた人生観を描いているようなイメージ。洗濯物の干し方とか妙に生活感を感じさせる内容でした。

さてさて、あとがきにて著者自身が述べているように、この小説、本当に人称の使い方が不自然なのです。第3者視点で描いているのに、いきなり主観的な文が現われたりして、一度気になるとそれはそれは気になって仕方ありません。こういう文でも賞とれるんだねぁとか思ってしまうんですけど、この不思議な文、何故か本文の空気と妙にマッチするのですよ。ストーリーも大して印象に残らないし、文も不思議なんだけど、「パンの匂い」の強烈なイメージと、主人公の殺風景であろう部屋のイメージばかりが頭に残るなかなか不思議な読書体験でした。

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