「冬の夜ひとりの旅人が」 イタロ・カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」 イタロ・カルヴィーノ ちくま文庫
カルヴィーノの本もこれで6冊目(だと思う)。好きな作家は?の質問にオースターと答えている自分ですけど、着実にカルヴィーノ作品への高感度はアップし続けています。さて、この本ですが、非常に面白い書き出しです。「あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている。」こんなの読んだことありますか?
この本、その後、2人称である「あなた」が本を読み始めるまでのことをつらつらと書き、ようやく「冬の夜ひとりの旅人が」というタイトルの章がスタートします。ところが、30ページもしないうちに物語は中断。ここで「男性読者」という名の主人公が登場。どうやら彼はこの本を読みはじめたものの、本の落訂で続きが無いようなのだ。その後彼は書店へ赴き、新たな1冊を手にいれる。そして読み始める。ここで再び30ページほどの物語が挿入。で、これはどうみても先ほどの物語とは別物、このようにして読んだ物語の続きを求めて色々なところへ赴く男性読者の冒険を描きつつ、30ページほどの様々な物語の冒頭部分が10篇挿入されている(物語の続きを求めて入手する本は全て別の本でしかも尻切れトンボ)というかなり凝った構成。
挿入される10篇の物語全てが普通に面白くて、登場人物の男性読者ならずとも続きが気になるようなものばかり。カルヴィーノ氏に是非続きを書いてもらいたい(既に故人ですが)。そして、「男性読者」の物語は、やがて「女性読者」の物語と交差し、さらにそこに作家自身、読者である我々までもが顔を出す始末。「小説とは何か?」を徹底して追及していく、そんな作品。
カルヴィーノ氏は作品ごとで様々なスタイルで実験風の構成を創出していて、さらにそこに物語の面白さがあるというのが傑出した才能だと思います。「見えない都市」では、互いに言葉が通じない2人が身振り手振りでやりとりする物語を描いて、物語とは「読み手」の想像上の産物にすぎないのかもしれないと感じました。さらに「宿命の交わる城」では、口のきけない者たちが、タロットカードを並べてそこから物語を綴っていくという設定でした。ここでも記号の解釈、「物語」の創出ということに深いメスをさしているなぁと感じました。
そしてこの作品。「読もう」とする読者の期待を裏切り続ける作品です。よく考えれば、「未完」などと注意されていない場合、ほとんどの場合に私たちは「最後まで読むことができる」という前提を知らぬ間に持っているような気がします。そんなことはどこにも保障されていないのに勝手に妙な安心感を前提にしてしまっているわけです。
先の2作品では読み手の想像という能動的な行為が物語を作っていく、つまり読み手が知らぬ間に語り手になっている、様子を描いていますが、多くの場合、多少の想像力を働かせつつも受動的に読書することのほうが普通ではないでしょうか。そうして物語の続きを追い続けているうちに自分自身がひとつの物語の主人公になってしまう(ここでも「読み手」が物語を産出してるんですね)という状況。あるいは、中途半端に終わってしまう10篇の物語、読者には本来、その先を想像し創造していく力が備わっているはずで、無限の数の「冬の夜ひとりの旅人が」がこの世には存在しうるのかもしれません。
そうすると、そもそもの小説の「書き手」の仕事とは何なんでしょうか?そして「物語」とは?「小説とは?」と色々なことを考えさせられる作品でした。
かなりお気に入り。
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