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2005年1月 2日 (日)

映画「ロスト・イン・トランスレーション」 

「ロスト・イン・トランスレーション」 2003年 アメリカ

TOKYOが舞台のハリウッド映画。日本のウィスキーのCMキャラクターに選ばれて、CM&ポスターの撮影で東京にきたやや落ち目のアメリカ俳優が主人公。異国で孤独を感じる彼は、カメラマンの夫について日本に滞在中のやはり孤独を感じている若い女性と出会い、2人が互いの孤独を慰めあうというようなお話。コメディタッチなのかと思ってたら、割と淡々として暗い映画だった。

現代の東京を描いた海外作品としては割りと頑張ってたように思います。日本人でも新宿やら渋谷らの喧騒はちょっと避けたいですよね。ましてや英語がほとんど通じない国ですから外国人の人にとってみれば取り残された感じになるのも頷けます。コメディシーンであるCM撮影に関しては、純粋に通訳が究極にダメダメなだけですよね。この通訳さん、最後までダメダメな役でした。実際、そういう人が多いってことなんですかね。孤独な主婦の日本人の友達という人々。彼ら自体が日本人の目から見てもコメントし難い微妙な輩なので、外国人の人からすればますます奇妙奇天烈かもしれませんね。通訳といい、変な日本人といい、彼は日本において、ことごとく「出会い」に関して運が悪かったようですね。店に入っても、英語が全然分からないために、一言も口をきかない店員さんだったりしてたし。でも、こういうことって外国に行ったら当然ありうることだし、たまたま自分の見た姿でその国を印象付けることも往々にありますからね。

ところで、この主人公2人も外国人とは思えない根暗っぷりを発揮しているように思いました。電話で相手に気を使って、本当は楽しくないのになかなか楽しんでるというような上辺だけの返事をするのっていかにも日本人的だなぁと思ったし、街にいてつまらないなら、もっと自分の足で良い場所を探そうとしたりすればいいのになぁ、外国の方にしてはあまりに受動的な性格です。日本という国で孤独を感じている彼ら自身がかなり日本人的な性格をしているような気がして仕方ありませんでした。同じ外国人でも、孤独主婦の夫とか、プロモで来日してる女優さんとかはとても楽しそうに日々を過ごしてるように描かれてますからね。すると彼らは言葉の違いの中で迷ってるのではなく、結局は、自分自身の心の中で迷っているわけです。この映画のテーマ、一見すると、カルチャーギャップだったりしますが、それは彼らの心の迷いを象徴するためのひとつの小道具にすぎないということですかね。

この映画、海外では多数の賞を受賞してたりして、評価が高いですけど、日本ではやっぱり、自国の描かれ方ばかりが気になってしまいますよね。この映画、アメリカでは日本語部分に字幕がついてなかったそうで、見てる人は、出演者と一緒に不思議の国、東京に迷い込めるという作りだったみたいですね。そうなると、この映画はやっぱり日本人であるというだけで、楽しみかたの大半を失ってしまってるのかもしれません。

こういう映画を見て、「日本の描かれ方がおかしい。不勉強だ」とか騒ぐ人もいますけど、そういうあなたは正しく外国のことを理解してますか?と問いたい。日本のドラマやら映画やらで描かれる外国人や外国だってひどい偏見の塊ですし。例えば、ブラジルといえば、ジャングルとサッカーとサンバとコーヒーだけだと思ってる人ばかりだし、メディアでこれ以外の登場の仕方をすることも少ないですよね。むしろこういう映画から「外からはこういう風に見られるのだ」ということを知るべきだと思います。

この映画で好きだったシーン。テレビでも見て暇をつぶそうと思った主人公が、自分の出てる映画がやってるのを発見するけど、吹替え放送で、画面の中の自分が日本語を喋ってるのを見て、余計に落ち込む場面。上手いな~と思いました。あと、いきなりのマシューが良かったです☆何気に国際的な番組。エンドロールでも、藤井さんの名前じゃなくて、マシューで登場してましたねー。

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