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2005年3月

2005年3月28日 (月)

「この人の閾」 保坂和志

「この人の閾」 保坂和志 新潮文庫

10年位前の芥川賞受賞作。以前からずーっと気になってた作家さんです。とりあえず、かなり気に入りました。この作家さんの芥川賞受賞(95年)は笙野頼子(94年)と川上弘美(96年)の間でして、この頃の選考委員と自分の趣味が著しく近いのではないかと思う今日この頃。

表題作、「この人の閾」は、とあるサラリーマンが小田原に行った際、夕方までの時間をつぶすために、年賀状だけのやりとりが続いていた大学時代のサークル仲間の家を訪ねて、四方山話をするというお話。本当にこれだけの作品です。しかも本当に四方山話(すっかりオバサンだねトーク、子供がサッカーに夢中トーク、最近どんな映画や本を見てるかトークなど)なので、何かその会話に深い文学的意味があるというわけでもないのです。その点「きょうのできごと」(柴崎友香)なんかと似ているわけで、この作者が「きょうのできごと」の解説を書いているのもなるほど納得。これほどまでに物語が存在しないで、これだけじっくりと読ませる作者の力量は相当のものではないでしょうか。恐らく相当推敲されたのだと思います。一見四方山な会話に全く無駄が無いですからね。

タイトルの「この人の閾」の意味するところは、みんながみんな自分固有の価値観を持っているということ。作中の会話に出てくる例では、「イルカは頭が良い」と言うけれど、彼らの頭のよさを人間と同じ尺度で測っていいのか?という様に、他人それぞれの生き方、考え方を自分の価値観で評価することには何の意味がないのではないかというようなことを考えさせてくれます。この点はこの本に収められている4作品全てに共通な感じ。恐らくこの作家さんの作品の一つの特徴なのでしょう。2話目の「東京画」ってのも良かったけど、受賞作の「この人の閾」がやはり一番面白かったですね。

作品の持つ力強さや奥深さは全然違う種類のものなんだけれど、妙に池澤夏樹の「スティルライフ」を連想させる作品。とても嬉しい読書でした。何回か読んでじっくり味わいたい作品です。

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2005年3月23日 (水)

「もっけ 4巻」熊倉隆敏

「もっけ 4巻」熊倉隆敏 講談社 

妖怪と人間の共存をほのぼの描くシリーズの最新作。憑かれやすい体質の妹と、見えてしまう体質の姉が霊媒師の祖父のもとで暮らしていて、物語は姉妹が出会う様々な妖怪さんとの交流を描いてます。この作品が面白い最大の理由はもしかしたらストーリー云々よりも絵が綺麗で非常に読みやすいとこなのかもしれないと思うくらいに読みやすい絵でかなりお気に入りです。ストーリーもシリアスとコメディのバランスが非常に上手くとれててそつがないですし。妖怪を扱っていて、鬼太郎的な怖いビジュアルのものも出てくるのに妙に怖さを感じず、読後感が爽やかなのも良いです。あと、基本が「どこにでもある日常」を送っている姉妹が妖怪とかかわり、祖父が姉妹を諭すという形式で、藤子F系の「すこし不思議」感が好きなのかも。

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2005年3月21日 (月)

「Oracle Night」 Pual Auster

「Oracle Night」 Pual Auster

上でも話題になってる、僕の一番好きな作家の地位をぶっちぎりで独走中のオースターの最新作です。去年買ったものの、入試とかで読書ペースが遅れてしまって読了に半年くらいかかってしまいました。バイトの休憩中にカフェにて読了したんですけど、良い作品を読み終えたことがかなり嬉しくて、今日はご機嫌でした。

ストーリーは、大病を患って、医者にも見離されかけていたものの、奇跡的に助かった作家が主人公。退院から4ヶ月が過ぎ、リハビリを兼ねて散歩に出かけた際に、彼はとある文具店に足を踏み入れます。そして、その店で吸い寄せられるようにして購入した青いノートに彼は物語を書き始めます。彼がノートに書いた物語や、依頼されて考えた映画の脚本のストーリー、はたまた妻の情事への妄想と主人公である小説家の頭の中に浮かぶ様々な物語と、彼の現実世界での人生模様が描かれる作品。

個人的には、前作「Book of illusion」の方が完成度は高いとは思うけれど、この作品もかなり好きです。これまでのオースター作品では、主人公自身が実際に色々なところを彷徨うな展開が多かったですけれど、今回は、主人公の頭の中での様々な思索を描いていて、より精神的な面が強調された作品だったような気がしました。また、恐らくオースター作品としては初(?)の脚注のオンパレード。脚注を用いて、メインのストーリーとは関係ない様々なサイドストーリーが語られていたのも面白かったです。あと、オースターと言えば「赤いノート」ですけど、今回は「青いノート」ってのも印象的。作中で赤いノートは他の人に買ってもらうというような文具店の台詞があり、「それはオースター?」と思わず突っ込んでみたり。

ニューヨークを舞台にしていて、前作の作品の雰囲気といい、オースターが再び往年の3部作の頃の作風に戻ってきているように感じます。そしてさらにそれが洗練されているのがかなり嬉しいです。ちなみに、主人公の妻、友人の作家とその息子の関わる現実世界での物語はオースター脚本の名作映画「スモーク」を彷彿とさせる人間ドラマでした。オースター作品のエッセンスがたっぷりつまった作品でファンとしてはかなり嬉しい。

この作品、100ページ目くらいまではかなりの勢いで面白くて、もしかしたらこれはスゴイ作品なのかもしれないと思っていました。その理由は、作中で主人公が書く小説がとにかく面白いから。いかにもオースター的な偶然の連続のストーリーなんですけど、この物語が本当に面白い!そして、それが尻切れトンボで終わってしまう(あくまで作中作だし)のでフラストレーションたまりまくりでした。

物語のラスト、主人公が感じる幸福感。それが何なのか、イマイチつかみきれなかったんですけど、4,5年後には出版されるであろう邦訳を読んでゆっくりと考えたいと思います。

ちなみにタイトルは、この作品に出てくる、作中作の中の作中作だったりします。この何重もの入れ子構造も面白かったです。

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2005年3月12日 (土)

「流星ワゴン」重松清 

「流星ワゴン」重松清 講談社文庫

重松さんの作品の中でもとりわけ評判の良い1冊なので、クビを長くして文庫化を待っていました。今回は珍しくファンタジーです。

妻の浮気、息子の引きこもり、自身のリストラ、不仲の実父の病気等で生きる意味を見失った中年男性が主人公(とんでもない設定だ)。彼の前に数年前に事故死したという父子の亡霊がワゴン車に乗って現われ、彼らは主人公を、人生の分岐点だったかもしれない過去へと連れて行く。主人公は突如現われた自分と同世代の頃の父(病床の父の生霊か?)と2人で、人生の分岐点となった日々をもう一度過ごすことで、自分を見つめ直していくというお話。

過去に戻るとは言っても、「運命は変えられない」というのが貫かれているので、かつてと違う言動をとっても、結果は変わらないという点がこの作品の重要なところ。「あのときにああしていたら」という後悔ばかりしていても、運命は変わらないらしいのです。それよりも、どのようにして、与えられた自分の運命と向き合えばいいのかという点に焦点をあてたところが上手いです。

作品の大きなテーマは「父子の絆」。この作品では女性キャラはほとんど登場しないし、重要な役割を果たすこともありません。ひたすら父子の物語。登場する3組の父子がそれぞれになんらかの悩みを抱えていて、それが解消されていく様子が描かれています。

かなり期待していたため、本音を言うとちょっと肩透かしをくらった感もあるのだけれど、面白いし、重松清の代表作と呼んでも過言ではない作品だと思います。自分に子供ができてからもう一度読んでみたい作品です。その点、重松氏と同世代で今を生きている読者が本当に羨ましいです。

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2005年3月11日 (金)

映画「ウォルター少年と、夏の休日」

「ウォルター少年と、夏の休日」 2003年アメリカ

この映画、オスメント君の声が高かったり、かすれたり、低かったりしてるので、丁度声変わりの真っ只中での撮影だったんでしょうね。小さい頃から知ってる(?)ので妙に親心が・・・。

映画の率直な感想は、「ビッグフィッシュ」と8割くらい被ってる・・・!?といったところでしょうか。

タイトルにもあるようにウォルター少年が夏休みに、2人の大伯父のもとに預けられるという内容。少年の母親はシングルマザーでありながら子供に嘘をつき、出歩きまわっている女性。今回も、母親は資格をとるために遠くの学校に行くという理由(どう考えても嘘っぽい)で彼を大伯父のところに預けることに。この2人の大伯父は、40年間蒸発していて、大金を持って帰ってきたという人物で、町ではマフィアの金を盗んだなどと噂されている人々。少年の母親も、子供に大金のありかを探すように命じて去っていく。

物語はその少年と、2人の超頑固ジジィとの交流を描くんですけど、全体的にほのぼのとしたコメディタッチでとても軽やかな作品。作中で、2人が姿を消していた40年の間に経験した、アフリカ~中東での大冒険がたびたび語れるのですが、どこまで本当か分からないようなお話だったりします。この点がまんま「ビッグ・フィッシュ」。この大冒険の部分は話を聞きながら少年が頭に思い浮かべたものを映像化しているという設定のため、子供っぽいチープで大げさな演出やカラフルな映像がとても面白いし普通に楽しめる。

この邦題を見ると、さも少年が主人公なんですけど、原題は「Secondhand Lions」。作中で、2人の老人がサーカスから引退したライオンを買い取るという下りがあるんですけど、そのライオンと、「lions」という複数形が示すように、2人の老人をライオンに見立てたタイトルなわけです。つまり、メインは少年ではなく老人たち。恐らく、オスメント君の名前で売ったほうがヒットするだろうと思ってつけた邦題なのでしょうけど、このタイトルから感じられる胸温まる感動のストーリーは期待しないほうが良いです。その点、見事に良いほうに裏切られる作品。感動もファンタジーもしっかり盛り込みながら、徹底してほのぼのコメディ路線があって、そういう部分のバランスがとてもよく取れているためあっと言う間の100分でした。

オスメント君、声変わりもショックですけど、顔もなんかクシャクシャな感じになってきたよ・・・。次回出てくるときはもう子役とは呼べないんだろうなぁ。どんな風になってるんだろ。で、この映画、オスメント君よりも老人が主体ですので、2人の名優が演じる老人は、本当に素晴らしいキャラクターなのです。頑固なんだけど、少年のことを愛してるギクシャク感とか、何ともいえないボケ&ツッコミっぷりとかとにかく上手い!!メインの3人のキャスティングがこれだけ良いのだから悪い映画のはずがないです。

「ビッグフィッシュ」が好きな人は絶対にこの作品も好きだと思います。それぞれにそれぞれの良さがありますけどね。この作品の強みはなんと言ってもホノボノ感です。気持ちよくクスリと笑えます。僕は両方ともかなり好きですけどね♪

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2005年3月10日 (木)

映画「エレファント」

「エレファント」 2003年アメリカ

撮影がこれほど美しいと感じた映画は数えるほどかもしれないです。テーマ、内容とはうらはらにとにかく「美しい」映画。見る価値があるかと聞かれれば、絶対に見るべきだとは思うけど、あまりのインパクトに2度目は見られない気がします。

アメリカのごく普通の高校の、とある日のごく普通の学生達の生活を描いた映画。というのが前半部分。クライマックスに向けて、描かれるのは、そのごくがありふれた空間に、2名の生徒が銃を片手に現われ、乱射する情景。

何かと話題の多い某監督さんの出世作(?)、「ボーリング・フォー~」と同じく、アメリカで実際に起こった高校生の銃乱射事件を扱った作品。「ボーリング~」(途中までしか見てないけど)ではドキュメンタリーとして、高校生が銃を手にすることができてしまうアメリカ社会を、扇動的に槍玉に挙げていました。一方、この映画では、完全な神の立場をとって、ただひたすらに事件の日の高校のいつもと変わらなかったありふれた日常をとらえる作品。

何人かの生徒に焦点をあてて、時間を前後させながら、じっくりと彼らの生活をカメラはとらえます。生徒の背後からカメラを回して、グラウンドから教室まで彼が歩いていく様子だけを特に台詞もなしに5分くらい映すような映像がほとんどの作品。映像がとにかく美しく、印象的な作品で、たまにある会話なんかも全部カットしてBGMだけでも映画として見せられるんじゃないかと思っていたら、監督インタビューで、会話は特に重要ではなく、台詞は全てアドリブにしてもらったと語っていた。こんな感じで、色々な生徒たちを映しながらも、これらしいストーリーを感じさせずに展開していく映画なんですけど、それぞれの生徒たちにしっかりと感情移入させた上に、焦点をあてた生徒達の行動は、時間を前後させながらも事件の起こる直前までしっかりと描かれます。ラスト、銃を持つ生徒の視点になったとき、我々は、そのときに、どの生徒がどこで何をしていたか、どれだけありふれた日常を過ごしていたのかということを理解しているため、その後の描写がとてつもなく怖く、不条理であることを理解できるという構成。淡々としつつも、素晴らしい完成度だと思います。

この作品は最後まで事件を起こした生徒の動機を語ることもなければ、何かのメッセージを投げかけることもありません。ただ事件が起きて、そしてごくありふれた日常が惨劇に変わった様子を描いてます。何度も書いてますが、この映画独特の美しい映像演出のため、ラストのほうの惨劇の映像(この場面ですら映像は美しい)は強烈な印象をうけました。ていうか直視できませんでした。そして、最後も、劇的な音楽も映像もなく、冒頭からずーっと続く、独特の淡々とした、ある種「冷徹」なカメラワークのまま映画は終了。余韻を感じる暇さえ与えず、ただ絶句という映画でした。そこで描かれる日常のあまりの普通さと映像の美しさ、そして、その後に起こる極めて不条理な事件。僕は太陽が明るかったから人を殺したと言うカミュの「異邦人」を強く連想しました。

何がどうしてこうのような事件が起こってしまうのか、誰も止められなかったのか、そもそもその学校がおかしかったのではと騒ぐことは可能だけれど、事件をおこした側も極普通の少年だし、その地域も、学校も、どこにでもある、アメリカでも日本でも変わらないような場所なんだということ強く実感させてくれる映画です。事件の背景には特殊な環境があるとついつい思い込みがちだけれど、我々のすぐ近くで、いつ何が起こってもおかしくないのです。そして。カメラの写す映像の淡々とした「冷徹さ」は、「アメリカで銃乱射の事件があったんだってー」「へぇー、怖いねー」と語り、そしてまた、「あの事件に興味あるんだー。それを題材にした映画なんだって?ちょっと気になるー」と完全に他人事として語ることのできる我々一般大衆の視点そのものなのではないでしょうか?「ボーリング~」の視点よりもこの映画のほうが僕は数倍、感じるものもあったし、事件の不条理さを感じたし、恐怖を感じたし、強い印象を受けました。

かなりヨーロッパ映画のテイストが強いと思ったら、カンヌで大賞と監督賞を受賞してました。ダブル受賞は史上初だったみたいです。この監督さん「グッド・ウィル・ハンティング」の人なんですね。ちょっとビックリ。

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2005年3月 2日 (水)

「猛スピードで母は」 長嶋有

「猛スピードで母は」 長嶋有 文春文庫

3年前に芥川賞を受賞した作品が先月文庫化しました。「猛スピードで母は」と「サイドカーに犬」の2作品を収録。どちらも、決して裕福ではないし、家庭環境にも恵まれているとは言えない子供を主人公にした作品。

2作品のうち、芥川賞受賞の表題作よりも、同時収録の「サイドカーに犬」の方が個人的にはお気に入り。小物やコネタが良い感じ。この作者さんは、作品タイトルのつけ方からしても、川上弘美的なセンスを感じるんですけど、実際の文体もとてもよく似ていました。ちょっとフワフワした乾いた文体。以前読んだ川上さんのエッセイによると、川上さんと長嶋さんは両者が作家デビューする前からパソコン通信仲間だったとかで、お友達だった様です。納得。

しかし長嶋さんのほうがやはり男性的だなぁと感じます。川上さんは擬音語の使い方とか、カタカナ/ひらがな/漢字の表記の使い分けだとかで、割と感性豊かな文章を書く一方で、長嶋さんは同じような乾いた印象の文体でありながら、理屈っぽい理性的な印象が強かったです。「猛スピード~」で気になったのは、子供の視点で描かれてるのに、たまに子供っぽくない表現が出てくるところ。あくまで子供が語り手で、彼の視点から書いているのに、語彙が子供っぽくないときがあるのです。一方で、過去を回想して子供時代を描いている「サイドカーに犬」のほうでは、語り手が大人なので、そういう点はあまり気になりませんでした。そんなところも、「サイドカー~」の方が面白かったと思った理由かもしれません。

でも、これってデビュー作ですよね?これからが楽しみな作家さんではあります。長編を読んでみたいかも。

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