映画「ベルリン、僕らの革命」
「ベルリン、僕らの革命」 2004年 ドイツ=オーストリア
すっかりドイツ映画ファンになりつつある今日この頃。古いものはほとんど見ていないので、最近のドイツ映画が面白いのか、はたまた、自分がこれまで意識してなかったのかは分からないのだけれど、ドイツ映画って独特の面白さがあると思います。
「教育者」を名乗って、大富豪宅に潜入し、物などは一切盗らず、家具の配置などをメチャクチャにしては、「贅沢は終わりだ!」という書置きを残し、資本主義社会に抵抗しうようとしているヤンとピーターの2人のお話。あるとき、ヤンはピーターの恋人ユールとともに夜のドライブをしていて、自分達が「教育者」だることをばらしてしまう。ユールはとある大富豪と交通事故を起こしてしまい、多額の賠償金を払うはめになり、借金に苦しめられていて、彼らが「教育者」であることを知り、ヤンとともにその大富豪の家に潜入していく・・・。結果的に、潜入したことがばれて、大富豪を拉致することになり、そして・・・。という物語です。
これはやはりドイツならではの作品だと思います。こういう活動が盛んだったのは、世界的に見てもやはり70年代までで、21世紀の今、このようなことをしても「いまどきこんな若者がいるのか!」という印象ばかりになってしまうのではないかと思います。しかし、ベルリンは、旧東ドイツの首都。資本主義が生活に入り込んでから20年もたっていないわけです。しかも、東西での貧富の差の拡大などが問題になっているとはよくきかれる話。このような背景があるからこそ、生きてくる物語ではないかと思いました。そんな点で、主人公ヤンを演じるのが、「グッバイ・レーニン」の主人公を演じたダニエル・ブリュールであるというのは非常に面白いキャスティングだなぁと感じました。ちなみに、この手の映画がスコットランドに行くと、「トレインスポッティング」になるのかもなぁと思いました。
この映画、一見すると、社会に抵抗する若者を描く作品なのですが、物語のメインはむしろ後半。彼らが拉致した大富豪と会話を重ねていく場面なのだと思います。やはり、一方的に思い悩んで、行動をするのよりも、お互いに前を向き合って話をするということの大切さを感じさせます。自分の置かれてる立場から、不平、不満を言って、よく知らない相手のこと、社会のことをののしるのは誰にでもできますが、成長をするためには、「対話をする」ということが大切なんだなぁ。と感じました。そして映画の最後、この出来事を温かく見守るかのように流れる歌が、「ハレルヤ」を連発するなかなか良い曲でした。う~ん、青春だねぇ。ちなみにこんな映画なのに政治色は意外といって良いほどに希薄に描かれているのも面白いところ。やっぱりこれは青春映画(=政治色が強かったら自分は最後まで見てなかったかもしれないし)。
<以下ネタバレのため反転してください。>大富豪さんがかつて、政治運動をしていたということで、物語は俄然面白い展開になったと思います。さらに、露呈していく、彼の世代と若者の世代との運動に対する温度差。この温度差はまた、「自由恋愛」に対する若者達の態度にも表れているのがとても面白かったです。で、それを象徴するようにして、この作品で、とても印象に残った台詞は、彼らが別荘を離れるときにユールが言う「自滅してちゃ革命はできない」(字幕)(=「救いたかったのは世界ではなく、私たちだった」(吹替え))というもの。すべてを社会のせい、世界のせいと必死になって抵抗していた彼らですが、彼らが本当に直面している問題は、自分自身の行く末であり、恋愛問題であり、友情問題であるわけです。繰り返しますが、「青春」ですなぁ。でも、これを台詞として言ってしまうのはちょっとなぁ・・・という気も。そして、いつでも逃げられたであろうに、彼らをそっと見守ったオジサンも「青春だねぇ」と感じたのでしょうね。ちなみに、あんなことがあったのに、「3人の絆は固い」って、オイオイ本当に良いのか!と思ってしまいました。
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