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2006年12月21日 (木)

「浮世の画家」 カズオ・イシグロ

「浮世の画家」 カズオ・イシグロ ハヤカワepi文庫

「語り」とは何かを問い続ける、日本出身の帰化英国人作家カズオイシグロ氏の初期作品が先ごろ文庫化。イシグロ作品はこれまでハズレなしなので、早速読んでみました。今回も、大満足。表紙を見ると、一見、浮世絵師が主人公の作品みたいですが、全然違いました。「浮世」違い・・・。

舞台は戦後間もない1940年代後半の日本。年老いた画家、小野益二が語り手となり、戦前、戦中の家族や、画壇仲間たちとの出来事を振り返りながら、次女の結婚や長女夫妻との関係、いまや決別してしまったかつての仲間や弟子達との関係を語っていくという物語。これだけ書くと非常に地味な印象ですが、イシグロ作品ならではのスリリングな語り口調がキラリと光り、飽きさせることなく最後まで読めてしまいます。

イシグロ作品といえば、とにかく「語り手」の曖昧さが特徴で、それは初期の作品であるこの作品でもかなり顕著に現れていました。主人公の独白形式の小説を読むときに、我々の中にはいつの間にか、「独白=主人公が神の視点」みたいな勝手な思い込みができてしまっていることが多いのですが、「語り手」である主人公はあくまでも人間なので、思い違いもあるし、自分に都合の良い解釈もして当然だし、回想の途中でこれでもかというくらいに話がそれていくこともあるわけです。我々はあくまで、その視点、語りというフィルターを通して物語を見つめることしかできないわけです。

そんな部分を非常に上手く描いてみせるのはイシグロ作品の特徴で、今回も、主人公の画家が過去に戦争関係で何かの活動をし、それによって画壇の仲間たちとの関係が疎遠になってしまったことは分かるものの、語り手である主人公は積極的にそのことに関して触れようとしません。適当にはぐらかされてしまうという印象です。それでいて、主人公はまた、過去の自分はもう取り消すことができないのだから、それを抱えながら、新たな人生を歩もうという前向きな姿勢だけはやたらと見せてきたり。

決して「良いキャラ」ではない主人公によって、作中の登場人物たちだけでなく、我々も振り回されっぱなしなのです。うん、面白い。

こういうイシグロ氏の独特の手法は、実は英語よりも日本語という言語で読んだ方がより一層面白さが際立つのではないかと思います。英語は常に主語を明記する言語なので、語り手が主人公であるときにも、常に「I」という主語が文に現れ、我々は否が応でも客観的にしかそれを読むことができません。一方で、日本語は、主語を省略することができる。

そうなると、たとえば、
「通りを過ぎたところで、私は彼女がいるのに気づいた」
「通りを過ぎたところで彼女がいるのに気づいた」
の2つを比べてみたときに主語が省略されている2番目の文では、我々読者の視点から客観性がうすれて、いつの間にか、語り手の視点に同化してしまうという効果が感じられます。ここでイシグロ氏の手法に戻ってみると、いわゆる「信用できない語り手」による独白であっても、我々はその視点に同化してしまい、それがゆえに、どこかはぐらかされているような、なかなか納得できないような違和感をより一層強く感じることができるのではないかと、そんなことを感じました。

この本、結構翻訳が良いなぁと思います。原書は英語なので、人物名なんかも全部ローマ字表記のところを漢字にしているし、ごくごく自然な日本語の文体で、あたかも、イシグロではなく「石黒」さんが書いているような雰囲気。この点はあとがきで、翻訳者も色々と考えた末にこういう文体を選んだと語っているので、それはもうお見事!という感じです。

しかし、しかし、しかし、気になって仕方ないことがあったのも事実。

舞台は1940年代。回想シーンに至っては戦前です。それなのに、「デリケートな問題だから」、「プライドが~」、「ヘアピン」、「チャンス」、「ニックネーム」などなどなどカタカナ語がちょっと多すぎではないですか?語りの部分は百歩譲っても、会話の部分はカタカナ語に違和感がありまくりでした。実際、戦前にもこういうカタカナ語は一般に流布していたのかもしれないけれど、やはり「ヘアピン」は「髪留め」のほうが時代的な雰囲気があるような気がします。あとがきにて、かなり翻訳に気をつけたとあっただけに、気になってしまいました。

カタカナ語が当時どのくらい普及してたのかとかに関しては本当に無知な自分なので、別に時代考証としてはおかしくない可能性も極めて高いと思うので、無知な人のたわごととして聞き流してくださってかまいませんが・・・。

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コメント

こんにちは。体調はすっかりよろしいですか?

カズオ・イシグロの、映画化された作品は知っていても、
原作を手に取る機会がないままです。
先日、『上海の伯爵夫人』を観て来たのですが、
これは彼のオリジナル脚本のようで、
な~んとなく著書に興味が沸き始めてきたところでした。

なかなか読書できていない現状が歯痒いのですが、
近々、書店に立ち寄って探してみます。
いつ読めるかは、ちょっと未定ですが・・・

いつもご紹介、ありがとうございます。

投稿: 悠雅 | 2006年12月23日 (土) 13時12分

悠雅さん、
コメントどうもありがとうございます!!
おかげさまで体調は良くなりました!

「上海の~」はイシグロ氏が脚本も手がけているということで
個人的にはかなり気になっている作品です。
観にいく余裕がなさそうなので、DVD待ちになりそうですが・・・。

「上海の伯爵夫人」を見たのであれば、
同じく上海が舞台になっているイシグロ作品に
「わたしたちが孤児だったころ」(ハヤカワepi文庫)という作品があって
なかなか読み応えがありますので、オススメです!

あとは映画の原作ですが、「日の名残り」は
映画も良いですけど、原作もかなり面白いですよ!

投稿: ANDRE | 2006年12月24日 (日) 23時14分

こんばんは。
またまた、こちらにお邪魔します。
↑でお邪魔してから、早2年…
やっとこの作品を読むことができました。
ホントにいい加減な自分が恥ずかしいやら情けないやら。

先日、『その名にちなんで』にTBも送ったのですけど、
届いていないようですみません。
こちらのTBも、届いてないかもしれません。ごめんなさい。

本当に、主人公に振り回されっぱなしのお話ですね。
適当にはぐらかされている間に、
ご本人はさっさと違う方向をご覧になってるというか。
こんな遠まわしな言い分の中から
依怙地でややこしい男を浮かび上がらせる…
これが、カズオ・イシグロ氏の手法であり、手腕なのですね。
まだまだ未読の作品もありますが、
新刊が出たら、喜んで本を買いに走りそうな気がします。

投稿: 悠雅 | 2008年12月 5日 (金) 22時50分

>悠雅さん

コメントありがとうございます!
TB、どちらも大丈夫でしたのでご安心ください。

自分も読みたい、観たいと思いながら
そのままになっている作品が山のようにあるので、
2年越しでも、しっかりとお読みなっているのは
素晴らしいことだと思いますよ。

このあまり好きになれそうにない人柄の男を
語り手にしてしまって、
それに振り回されながらも、
この人の性格や人生を読者に伝えてしまう
イシグロ氏の語りは本当に見事だと思います。

「わたしを~」のほうが完成度では上かなと思いつつ、
小野というキャラクターを描ききった上手さに驚き、
この作品が自分のイシグロ作品No1かなぁと思ってます。

投稿: ANDRE | 2008年12月 7日 (日) 14時07分

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