「恥辱」 クッツェー
恥辱 J・M・クッツェー J・M・Coetzee ハヤカワepi文庫 2007.7. |
数年前にノーベル賞を受賞した南アフリカの作家の作品です。ノーベル賞のみならず、ブッカー賞というイギリスの文学賞(直木&芥川賞を足した様なもの)を史上初めて2度受賞したということで、かなり気になっていた作家なので、楽しみにして読んでみました。
ケープタウンの大学に勤務する52歳の中年教授デヴィッド・ラウリーが主人公。2度の離婚をし、1人で暮らす彼は、自分の授業に出席している1人の女学生に魅せられ、関係を持ってしまう。その後、学生から告発された彼は、教授職を失い、娘が暮らす田舎町へとやってくる。やがて、田舎の農場で近所の手伝いをしながら過ごす彼に新たな事件が襲い掛かる・・・。という物語。
最初は単なるセクハラ大学教授の話かと思って読んでいたのですが、それはほんの序章。中盤以降、アパルトヘイト撤廃後の南アフリカの現状を突きつけてくる展開になり、非常に深く読ませる1冊でした。ノーベル賞の看板に偽りなしですな。
主人公がセクハラ事件で大学を追われたというできごとが「恥辱」なのかと思いきや、もっともっと物語のテーマは深いところにあって、予想もつかない方向に展開していったのが、非常に面白かったですねー。
隔離政策がなくなったとはいえ、深層意識の中にある差別的な感情がその日からなくなるわけではない。娘が暮らす田舎の農園で目にする現実に、そんな心理が知らず知らずに明るみに出てしまう。人は急に変われるものではない。そして、それはまた、主人公の性格も同じで、セクハラで職を失ってもなお、自らの欲望を抑えることのできない中年男。そんな奴なのに、いざ自分の娘のこととなると、話は大違い。そんな「人間」の恥ずかしい面を臆面もなく出す主人公の姿がとても印象的。この男はこのまま一生転がり続けるんだろうなぁと。
主人公とセクハラ被害者の女学生の父とが比較される場面も緊張感があって凄かったなぁ。
都会と田舎、白人と黒人、同性愛者と異性愛者、男と女、家族と他人、自己と他人、人間と犬といった価値観の異なる多数のものたちが共存するこの社会(これらの要素の対比のさせ方も巧い!!)を、自己に忠実に生きることで転落し続ける男を描いた読みごたえのある1冊でした。南アフリカならでは!と思わせるテーマではあるけれど、少し形を変えれば小さな恥辱は我々の周りにいくらでも存在していると思う。
クッツェー、他の作品も読んでみようかな。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 「足音がやってくる」マーガレット・マーヒー(2013.05.30)
- 「SOSの猿」伊坂幸太郎(2013.05.05)
- 「死美人辻馬車」北原尚彦(2013.05.16)
- 「俺の職歴」ミハイル・ゾーシチェンコ(2013.04.01)
- 「エムズワース卿の受難録」ウッドハウス(2013.03.24)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
キャッチーな題名とありがちな序盤をちらっと本屋でみましたが、そんな深い恥辱にまで言及した話なんですね・・・。
こちらは最近割りとエンタメ性+社会問題をはらんだ作品が多いなあと思っていたのですが、今回も非常に興味をそそられたレビューでした。
近々、読んでみます。
投稿: j-apple | 2007年8月 1日 (水) 08時20分
>j-appleさん
コメントどうもありがとうございます。
序盤だけだと単なるセクハラ教授の話なんですが、
それは彼の転落のほんの序章にすぎない物語でした。
なかなか面白いので、是非是非読んでみてください。
投稿: ANDRE | 2007年8月 1日 (水) 19時08分