映画「今宵フィッツジェラルド劇場で」
a preairie home companion 2005年 アメリカ |
群像劇の巨匠ロバート・アルトマン監督の最新作にして、遺作となった作品です。音楽が題材ということで気になって見たんですが、もうね、こんな「遺作」を撮れるのって素晴らしいんじゃないかと思ってしまうまさに奇跡の遺作でした。
舞台は地方ラジオ局の公開録音の長寿生番組、「プレイリー・ホーム・コンパニオン」の収録が行われる、フィッツジェラルド劇場。今日もいつものように、満員の客席の前で、いつもの司会者がいつもの歌のメンバーたち、ゲスト歌手らとともに番組を進めていた。しかし、1つだけいつもと違うことが。ラジオ局の買収と劇場の取り壊しが決まり、今日の放送が「最終回」なのだ。長年一緒に働いてきたスタッフや出演者たちの誰もがこれが最後であることを語らず、いつも通りにショーは進んで行くのだが・・・。という物語。
うーん、これはさ、劇場で見ないと意味ないんじゃないの?だってどう見ても、、劇場で見たときに、我々がフィツジェラルド劇場にいるかのような錯覚にいる陥ることを狙ってるじゃん!家の小さな画面じゃ意味ないよー。残念極まりない。そのくらいに、歌&公開録音の場面がしっかり作られてる。
あと、メリル・ストリープ、トミリー・ジョーンズ、ケヴィン・クラインといった芸達者な役者さんたちのさりげない名演がキラリと光ってます。他の出演者もみんな良い。リンジー・ローハンも今まで見た中で一番良かった!
まさに「終わり」の美学を描いた作品で、これを「遺作」として残したアルトマン監督は最後の最後まで名監督ですよ!!!ただひたすら、それが凄い。遺作になったのが偶然であるのならば、彼には映画の神がついていたとしか思えない。
いわゆる、「古きよき時代」のラジオショーなので、選曲を含め、ちょっと一昔前の雰囲気なので、その辺りが弱冠入りづらいところではあるんだけれど、気がついたら、カントリー調の音楽の数々に聞き入ってました。出演者達の演奏がかなり良い!ちなみに、この作品に出てくる公開録音番組は実在するもので、司会役のギャリソン・キーラーはその本物のホスト。アメリカではかなり有名な番組のようなので、その辺をあまり知らないということで、我々日本人にはますます敷居が上がってしまってるよね。残念。
アルトマン監督といえば、群像劇ですが、この作品も、一人一人のキャラクタがとても生き生きしていて、それぞれに愛着が持てるのが良かったなぁ。
さて、この作品、「最終回」なんだけれど、誰もそのことを口にせず、ただひたすら、「いつも通り」に番組は進行します。この映画も、遺作なんだけど、だからといって、肩肘をはったところが全く無くて、本当に自然に、いつも通りに良いものを作ったという感じなんですよね。派手さがないところも含めて、この映画そのものが、この映画の主題を体現してるように思います。
そして、「老人が死ぬのは悲劇じゃない」というとても印象的な台詞があるんですが、これも、そのまま監督からのメッセージのように聞こえてしまうんだよね。
そうそう、メリル・ストリープの歌が結構良かったですね。これ、吹替えじゃないんだよね?そうなってくると、彼女が出演するという「マンマ・ミーア」の映画版もかなり期待が高まります!!歌うのかどうか知らないけど。
地味だし、これといって面白い!といえる場面がたくさんあるわけでもないんだけれど、これほどまでに「終わりの美学」が美しく描かれた佳品も少ないのではないかと思います。これぞ「有終の美」。アルトマン監督のご冥福をお祈りいたします。
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