「旅をする裸の眼」多和田葉子
旅をする裸の眼 多和田葉子 講談社文庫 2008.1. |
多和田さんの作品は芥川賞受賞の「犬婿入り」を読んで以来、好きで結構読んでいるんですが、ドイツで文学活動をしているということもあって、研ぎ澄まされた日本語の言語感覚やみずみずしい感性が魅力的な作家さんだと思います。
主人公はベトナムの女子高生。1988年、講演のために東ドイツを訪れた彼女は、そこで知り合った男に、西側に連れて行かされる。彼女は、そこで幾ばくかすごした後、大陸横断鉄道に乗り込んで、ベトナムに戻ろうとしたものの、反対方向の列車に乗ってしまい、パリへとたどりつく。
滞在ビザも、パスポートも持たない彼女はやがて、パリに自分の居場所を見つけるが、暇さえ見つけては映画館へ通い、とある女優の出演作ばかりを何度も何度も観続ける。彼女が異国で暮らす12年を、スクリーンの向こうの女優に話しかけるという文体で描いていく作品。
映画がテーマになっているんですが、全13章のタイトルも全て映画のタイトルになっています。で、その共通点はすべてがカトリーヌ・ドヌーヴの出演作であるという点。作中で、主人公が彼女にひかれるという設定になっていて、彼女が観る作品の世界と、そのときの彼女の生活とかが上手い具合にリンクする作品です。
出てくる映画、タイトルになっている全13作品のうち、観たことがあるのはほんの2,3作品な上、記憶もおぼろげだったりするんですが、映画を知らなくても、作中で彼女の眼というフィルターを通して語られる映画のストーリーや各場面の印象から、その作品を頭に思い描いて読むほうが楽しめるかもしれません。実際、内容を知っている映画が出てくる部分よりも、知らない作品の章のほうが、深く楽しめたように思います。
読みやすい作品ではあるものの、共産圏の話だとか、アイデンティティだとか、色々なテーマを盛り込んでいるし、決して分かりやすい作品ではないので、何度も読み返して味わいたい作品です。
タイトルが「裸の眼」となっているんですが、フランス語のできない主人公が、パリの地で、まさに「眼」からの情報だけで生きていくというストーリーで、映像主体の映画というメディアを登場させ、さらに、フランス語が分からないのに同じ作品を何度も観ることで、その作品を理解していく主人公の姿が描かれるというのはなかなか面白かったです。最終章の映画も、なるほどそれを持ってきましたかという作品でしめていて、思わず「むむむ」と唸ってしまいました。
ドイツに行ってロシア語で講演をするくらいに、ベトナムでは優秀な学生であっただろう主人公が、パスポートもなく、偽名を使い、言葉が全く分からない異国の地で暮らすようになるのはやっぱり読んでいて明るい気分になれる作品というわけではないんですが、それでもやっぱり読めてしまうのは、彼女の女優へのまっすぐな思いが描かれるからではないかと。彼女がそこで1人の女優に魅せられて、作品のたびに姿も性格も名前も変わる、だけれど、いつもそこに、その女優としての確固としたアイデンティティを持っているという姿に共感するようになり、まっすぐに語りかける姿はとても印象的でした。
この人の書く文は一文が長かったり、一段落が長かったりするんですが、それでもすーっと入っていける文体はやっぱり上手いなぁと思います。読む前はちょっととっつきにくそうな印象もあったんですが、あっという間に読み終えてしまいました。
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コメント
突然失礼します
来月、『犬婿入り』を演劇化し公演します。
他にも、夏に出島
11月には本人の朗読もあります。
よろしければどうぞ
投稿: シアターX | 2008年3月22日 (土) 11時25分
>シアターX様
公演のお知らせありがとうございます。
どのように舞台化されるのかというのは
気になるところですので、
機会があれば伺ってみようかと思います。
投稿: ANDRE | 2008年3月22日 (土) 23時11分