「顔のない裸体たち」 平野啓一郎
顔のない裸体たち 平野啓一郎 新潮文庫 2008.7.. |
最近長編を刊行して話題になっている平野啓一郎ですが、こちらは2年前に刊行された作品が文庫化したもの。
中学校の社会科教師の吉田希美子はふとしたきっかけで、ネットの出会い系サイトにはまり、そこに「ミッキー」という名で登録し今までの自分とは違ったアイデンティティを見出していく。
彼女はミッチーという名で登録していた公務員の男と実際に会うことを決め、彼と関係を持つようになる。やがて2人の行為はどんどん過激さを増し、そして、ある事件が引き起こされる・・・。という物語。
ネットに氾濫する「性」の世界を描いている作品で、タイトルは素人投稿サイトなどに掲載された顔にモザイクをかけられた裸体たちからとられたもの。
18禁な感じの描写が多い作品ではあるけれど、ルポタージュ風の文体で淡々と描かれるのでそこまでのやらしさはありません。あえて深く入り込まずに冷徹に見つめているんですかね。でもって、平野氏の文章は相変わらず読みやすいですね。
平野氏はどうやら最近はネットが気になる存在なようで、この前にも「最後の変身」などネットを題材にした作品を書いていますし、最新長編もその流れにあるようです。てか、自身がブログを書かれてますよね。←結構面白くて更新を楽しみにしてます。
最後にはもはやニュースの常連のような事件も起きるんですが、そういった点も含めて、色々と考えさせられる作品で、特に、ネット上での仮の自分と現実の自分といった話はこういうブログとか書いてる人間にとってはなかなか興味深いテーマです。
この作品では、ネットにおける性の世界での仮の自分を描いてましたが、結局、こういうブログだって、HNという偽の名前で記事を書いていて、「顔のないレビュー」と呼んでも良いわけで、そういう点では、「顔のない裸体」の1つなのかなと、読みながらふと感じました。
ネットの世界は常に現実とつながっているということを忘れないようにしなければいけませんね。
作品のラストシーン、主人公たちの犯した過ちが本人にとっては重大な事件で、雑誌なども騒ぎ立てるけれど、それも一過性なものだし結局、子供の笑いのタネの1つにしかならないっていう現実を感じる場面でした。
なんか、全体的に「当たり前」なことばかりな話なんだけれど、ここまで読ませてしまうのは平野氏の文章力の高さなんだろうなぁ。
* * *
参考過去レビュー
「滴り落ちる時計たちの波紋」 平野啓一郎
同じくネットを題材にした「最後の変身」を収録。
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