「マイケル・K」 J・M・クッツェー
マイケル・K J・M・クッツェー ちくま文庫 2006.8. |
史上初の2度のブッカー賞と、ノーベル賞を受賞した南アフリカの作家クッツェーの1度目のブッカー賞受賞作。以前読んだ2度目のブッカー賞作品「恥辱」が面白かったので、こちらも読んでみました。
舞台は内戦中の南アフリカ。主人公マイケル・Kは施設を出た後、庭師として働いていたが、内戦による騒乱が激しくなり、屋敷に住み込みで働いていた病気の母を手製の車椅子に乗せてケープタウンを出発し、母の故郷の町を目指す。
途中、様々な理不尽かつ不条理なできごとがマイケルを襲い、彼は強制収用キャンプや、荒れた農場など場所を転々としていくが・・・。という物語。
3部構成になっていて、第2部だけ、マイケルが途中で関わることになる1人の男の独白形式になっています。
なんか、こういう現実が存在していたということがかなり衝撃な1冊でした。しかも時代的にもつい最近のできごと。マイケルの不条理にあふれた旅を通して、さまざまな現実が描かれていて、平和ボケな自分には色々と考えさせられる良い作品でした。
個人的には第3部がなんだか夢の中の話みたいで、現実味がなかったなぁと。
結構衝撃だったのは、母親が入院する病院の様子。一人に構っていられない状況だというのは分かるけれど、それにしても辛い。
描いている出来事はやたらと辛いんですが、なんだか物語の進み方はちょっとファンタジックとさえ感じるもので、そのあたりが読みやすい理由なのかななんて思ってみたり。でも、これはやはり現実世界の話であるあたりに、カフカの不条理が現実的に存在するんだなぁなんてのも感じられる作品でしたね。
第2部は、他者の目を通すことで、第1部を読んできた読者が感じること(感じてほしいこと)を文章化していたようにも思うのだけれど、そういう意図で書かれているのならば、ちょっと冗長な気もします。
話の語り方が「恥辱」のほうが洗練されてたイメージがあるのは、恐らく、作家として成熟してからの作品だからなのだろうけれど、「マイケル・K」にはこのちょっと荒い語りがよくマッチしていたように思います。
以前何かの感想を書いた時に、「自由」がほしいというとき、多くの場合は、本当の自由ではなくて、何らかの制約の中での自由を求めているに過ぎないのだという事を書いたのですが、この主人公の求めたものはもしかしたら真の自由なのかもしれません。「制約」の存在を知ることさえできない、もしくは、「制約」にさえ頼れない現実というのも確かに存在するんですね。
読書をすると世界が広がるというのをとても実感できる1冊でした。
<参考過去レビュー>
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