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2008年10月 2日 (木)

「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫 イ 1-6)

わたしを離さないで
(never let me go)

カズオ・イシグロ
(Kazuo Ishiguro)

ハヤカワepi文庫 2008.8.
(original 2005)  

イシグロ氏の6作目の長編作品の文庫版。これで、ハヤカワepiで、イシグロの全長編作品が文庫で読めるようになりました。そんなわけで、文庫派の自分が、唯一未読だった長編をようやく読むことができました。

主人公キャシーは「提供人」たちの世話をしている介護人。物語は彼女が回想をする形式、彼女が生まれ育ったヘールシャムという施設での青春時代を描いていく。

教育は受けられるものの、施設の外の世界を知らずに育てられる主人公達の学校生活や、友情関係、教師達との複雑な関係、そして思春期の恋愛的な関係などを描きながら、物語の背景に隠された事実が徐々に明かされていく・・・。

イシグロ作品としてはなんとも意外なSF的な背景の登場にちょっと驚きつつ、淡々としながらも先へ先へと物語を読ませてくれるイシグロ氏の語りの上手さに見事にはまり最後まで一気に読んでしまいました。

この作品には大きな「謎」があって、読み始めてまもなく気づいてはしまうものの、ネタバレしないで読んだほうが面白いと思うので、感想がちょいと書きにくい作品ですよねぇ。

イシグロ作品は「信頼できない語り手」というのが1つの特徴ですが、この作品のキャシーは、過去のイシグロ作品の中でも屈指の信頼のできなさです。「浮世の画家」の彼は相当嫌な奴でしたが、今回のキャシーも、いちいち話をはぐらかしてきます。

そもそも、主人公達のおかれた状況がとても変わっているんですが、作中で回想する主人公たちが、自分の運命に対して特に行動を起こさないのですが、自分はそこに、「洗脳」の怖さを感じてしまいました。

そうなってくると、洗脳された人物による回顧録ということになってきて、ますます、「信頼できない語り手」の信用度は下がってくるわけで、物語の背景にはもっともっと倫理的な問題が深く根付いているんだろうなぁというのが見え隠れするところに、モゾモゾとした怖さの感じられる作品でした。

施設では、彼らの運命を恐らく曖昧に小出しにしてきたんだと思うのですが、キャシーの語りの不安定さによって、その「恐らくそうなんだろうなぁ」というモヤモヤとした感じが読者の我々にも伝わってくるのは上手いなぁと思いました。

あと、キャシーさんが、結構、プライドが高いというか、自分大好きというか、語りの中にかなり主観的なものが感じられて、自分に都合よくしか語ってくれないのですが、これが本当に自然なんです。「浮世の画家」は似たような特徴を持つ語り手が、ただただ煩わしい男という印象だったのに、今回の語り手は、まるで違った印象で、イシグロ氏の語りのテクニックはここにきて、ますます洗練されてるなぁと感じました。この人の文章は1人称の語りにうっかり感情移入なんてしようものならとんでもないことになってしまうんですよねぇ。

1つ1つのエピソードがかなり面白く描かれているので、非常に面白く読める1冊なんだけれど、読後感は決してよくありません。なんともやりきれない気持ちになるのですが、分かって入るけれど、決して逆らえない運命を前にして、自分は果たして、どこまで抵抗するのかなとか、色々考えてしまいました。

印象的だったのは、ペンケースの下りと、ラスト近くの女性を尾行する下り。特に後者は、主人公達の運命に対する思いがわずかだけれど顔をだす場面だったので、とても印象的。

似た設定で、割と抵抗する物語のコミック「ハツカネズミの時間」(冬目景)なんかをちょっと思い出してみたり。

こういう話って、技術的に不可能ではなさそうだってのがジワジワと感じられるようになってきてるだけに、妙なリアリティがあるのが怖いですよね。

* * *

参考過去レビュー

祝全長編読破!イシグロ祭ってことで。

「浮世の画家」
語り手がとにかくわずらわしい。

「充たされざるもの」
長さも内容もTHE不条理

「わたしたちが孤児だったころ」
オーソドックスにまとまってて読みやすい作品。

映画「上海の伯爵夫人」
イシグロ脚本作品。「わたしたちが~」と背景が被ってます。

マイベストイシグロは何かなぁ。

「浮世の画家」かなぁ。

でも英国好きとしては「日の名残り」は外せないんですよね。

でも「わたしを離さないで」は作品の完成度は極めて高いしなぁ。

ついでに、関連オススメ書籍。「ナイン・インタビューズ」という柴田元幸さんの本なんですが、9人の作家に柴田氏がインタビューをしたものを収録していて、イシグロ氏へのインタビューもかなり充実したものが掲載されています。英語の勉強にもオススメの1冊です。

ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち

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コメント

はじめまして
ブログランキングからきました。
私の中でもベストは浮世の画家です
小野というひとのどうしょうもなさが好きです。

投稿: イダヅカマコト | 2008年10月 2日 (木) 10時12分

>イダヅカマコトさん

はじめまして、
コメントいただきましてどうもありがとうございます。

イシグロ作品のベストは何だろうというのは
これまで考えたことが無かったんですが、
色々と思い返して考えてみて、
「浮世の画家」に行き着いてしまいました。

あんな語り手と出会える文学作品はそうそうありませんよね(笑)

投稿: ANDRE | 2008年10月 3日 (金) 00時49分

ANDREさん、こんにちは。
トラバをお返ししたつもりなんですが、うーん、反映されてないのかな。fc2はどうも、他のブログサービスとの相性が悪いような…。

さて、『私を離さないで』。
そういえば、私はすっかりキャシーたちに感情移入して読んでいたことを思い出しました。
イシグロといえば、確かに「信頼できない語り手」。
『わたしたちが孤児だったころ』のクリストファーくらいおかしいと、流石に彼に感情移入したりはしなかったんですが…。

うーん、いろんな風に読める作品なんでしょうね。
もう数年経ったら、また読み返してみたいと思います。

投稿: つな | 2008年10月 4日 (土) 10時44分

>つなさん

コメントどうもありがとうございます。
トラバは成功したりしなかったり、よくあることですので、
気にしないで下さい。

この作品は、ネットで色々と感想を読んでいると、
本当に色々な読み方があるようで、
ブログでもコメント欄がにぎわっているところが多いように思います。

自分も、一番最後まで読んで、
物語の全体を把握した上で最初から
読んでみるとまた違うのかなと思っているので、
いつか再読したい1冊です。
最初読んでるときは、どのようにして
物語が展開して、終わるのかが気になってしまって
細かいところを読み落としてる気もしますし。


投稿: ANDRE | 2008年10月 4日 (土) 20時23分

こんばんは。ご無沙汰してます。

ずっと気になっていた、カズオ・イシグロ作品、やっと初めて手に取りました。
読む前に、ちょっとこちらにお邪魔してみたんですが、
ネタバレしないほうが面白い、との言葉を読んで、出直して来ました。
本当に、これはネタバレしないで感想を書くのが難しい作品ですね。
「信頼できない語り手」というのも、同感です。

この登場人物たちが置かれている状況というのは、
実はうんと最初のほうで勘付くんですけど、
何か新しい情報(過去の記憶)などが出てくる時は
結論を先に言って、「それというのも・・・」みたいな説明が後から来るので
全体とどう関係あるのかが知りたくて、ほとんど一気読み状態でした。
読了直後は、単純にキャシーの人となり、環境などを思うんですが、
暫く経つと、作者の手法や技巧に気づいて、思い返せば返すほど、
「巧いなぁ」と感心するばかりです。

満を持して(?)、『日の名残り』、読み始めています。

投稿: 悠雅 | 2008年11月17日 (月) 21時30分

>悠雅さん

TB/コメントどうもありがとうございます!
久々に39度以上の熱で倒れてしまい、
レスが遅れてしまいごめんなさいです。

これ、イシグロ氏はネタバレしても構わないというように
語っているそうですが、
やっぱり何も知らずに読んだ方が良い作品だと思います。

「日の名残り」はなんといっても映画も素晴らしいですけど、
原作は執事スティーブンスが上品な語り口で
話をはぐらかしてくるので、また違った味わいがある作品です。
映画も小説もどちらも好きな作品の1つなので
是非是非お読みになって感想を聞かせてください。

投稿: ANDRE | 2008年11月20日 (木) 00時32分

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