「だまされた女 / すげかえられた首」 マン
だまされた女 / すげかえられた首 トーマス・マン 光文社古典新訳文庫 2009.1. |
新訳文庫の先月の新刊。マンは遠い昔に「魔の山」と「ヴェニスに死す」を読んでますがほとんど記憶に残ってません・・・(ちなみにどっちも映画版も見てます)。特に後者は純な高校生の少年が読むにはショッキングすぎたというインパクトばかりが残ってます。
収録されているのはタイトルの2作品。どちらも愛を描くんですが、これがまたどちらも一筋縄ではいかない恋愛なんですね。ハラハラドキドキです。
以下それぞれの感想を。
「だまされた女」
舞台はドイツのデュッセルドルフ。初老の未亡人ロザーリエは娘のアンナと息子のエードゥアルトと共に暮らしている。
ロザーリエは自然を愛し自らも自然に任せて生きようとする女性で、一方の娘のアンナは足に障害があるものの、芸術を愛し理性に生きる女性。
更年期を過ぎ、女性としての人生を終えてしまったことを嘆いていたロザーリエであったが、あるとき、一人の若きアメリカ人に恋をしてしまう・・・。
タイトルの「だまされた女」が果たしてどのようにして騙されるのかがこの作品の肝なんですが、なかなか面白い作品でした。てか、気の毒というかなんというか、彼女の気持ちを思うと色々と複雑ですよねぇ。
「ヴェニスに死す」の少年の年代に読んでかなり衝撃を受けた自分ですが、今回はアメリカ青年ケンと近い年代で読んで、「うわー、これ、困るよなぁ」と思ってしまいました。主人公のほうの年齢に近づくとまた違った見方ができるんですかねぇ。
この作品で面白かったのはアンナが芸術家肌な一方で理性の人として描かれていること。そして、自然を愛するロザーリエは写実的な絵を好んで、一方のアンナは抽象的な絵画を描くという設定なんですが、抽象画=理性の人という図式がどこかちょっと不思議な感じも。
「すげかえられた首」
舞台はインド。素晴らしい肉体の持ち主ナンダと素晴らしい知性の持ち主シュリーダマンの2人は親友同士であったが、あるとき、シュリーダマンがシータという女性と結婚してしまう。
結婚後もいつも一緒にいる2人の友情は変わらずにいたのだが、思わぬ悲劇が訪れることになる・・・。
ま、内容はタイトル通りで、究極の三角関係を描いた作品でした。
良いとこばかり集めたら、逆に味わいがなくなってアンバランスでおかしくなっちゃったっていう展開かと思いきや、そうでもなくてなかなか面白く読むことができました。
ただ、全体に饒舌な作品だなぁという印象が。
出てくる人物達がとにかく喋る。こんな会話友人としたことないよー(上の「だまされた女」もこんな会話親子でしたことないよーって感じでしたが)。そんでもって、語り手がまた饒舌にひょっこり顔を出してくる。そしてそして、ストーリー自体は割とシンプルなのに150ページもあったり。
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コメント
こんばんは。
確かにこのしゃべり口はすごかったですね~
どう控えめにみても、日常会話ではない。
だけど、彼らはそういうしゃべり方しかしない。
そこらへんのギャップをけっこうおもしろがって読んでいました。
抽象=理性という話もそうですが、「だまされた女」では西洋が根深くもっている理性/自然の二項対立図式がにじみ出ているなと感じました。
やはりデカルトの影響は大きかったのかなと。
投稿: ふくろう男 | 2009年2月20日 (金) 23時56分
>ふくろう男さん
コメント/TBありがとうございます。
文学作品の登場人物たちは
特にちょっと古いものだと
この手の会話をよくしていますが、
それにしても、まぁ、
よく喋る人たちだなぁという感じでしたね。
20世紀後半ともなれば、
デカルト的二元論は主流を外れても良さそうですが、
おっしゃるとおりまだまだ根強く残ってるような
書きっぷりでしたね。
投稿: ANDRE | 2009年2月21日 (土) 13時08分