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2012年8月15日 (水)

「それでも私は行く」 織田作之助

それでも私は行く

織田作之助

.青空文庫
(original 1956)

京都旅行の際に京都を舞台にした小説を探していて、たまたま見つけたオダサクの長編。亡くなる前年の最晩年の作品です。やっぱり織田作之助、かなり好きです。

舞台は戦後の京都。先斗町のお茶屋の息子で皆が憧れる美青年の高校生、梶鶴雄を中心に、女スリ師や芸妓・舞妓さんたち、小説家たちの織り成す群像劇を描いてく。

この作品、実在する地名や店などがたくさん出てくるのですが、京都の町を歩いていると、50年以上前に書かれた作品に出てくるのと同じ場所に同じ店がちゃんと残っているんですよね。主人公と同じ道を歩きながら作中で描かれる戦後京都の鮮やかな描写に思いをはせるというのもなかなか乙なものです。

物語は一人の主人公の視点に固定するわけではなくて、スーッとカメラが移動していくようにして、すれ違った人々に次々に焦点があたりながら、彼らの人生が思いがけないところでつながって一つの長編を紡いでいくという構成が非常に面白かったです。

あと、作中に小田策之介という作家が出てきて、この作品全体が彼の書いた作中作というメタフィクション的なオダサクの遊び心がキラリと光ってました。作家を出すことで、文学論なんかも登場したし、物語が妙に俗っぽい割にはいろいろと奥深い作品だと思います。

オダサクの書くウィットとユーモアにあふれた文章が好きなのだけれど、この作品の冒頭もステキでした。少し長いけれど、引用を。

先斗町と書いて、ぽんと町と読むことは、京都に遊んだ人なら誰でも知っていよう。
 しかし、なぜその町――四条大橋の西詰を鴨川に沿うてはいるその細長い路地を、先斗町とよぶのだろうか。
「ポントというのはポルトガル語で港のことだ。つまり鴨川の港という意味でつけた名だと思う」
 と、ある人が説明すると、
「いや、先斗町は鴨川と高瀬川にはさまれた堤だ。堤は鼓だ、堤の川(皮)はポント打つ。それで先斗町という名が出たのだろう。小唄にも(鼓をポント打ちゃ先斗町)とあるよ」
 と、乙な異説を持ち出す人もある。
 鼓がポンと鳴れば、やがて鴨川踊だ、三階がキャバレエ「鴨川」になっている歌舞練場では三年振りに復活する鴨川踊の稽古がそろそろはじまっていた。

先斗町の由来から始まって、鼓の音の話題からからそのまま稽古場へと移っていく一連の流れ!聴覚的な話題からそのまま視覚的にカメラが移動していくような読者の五感をフルで刺激してくる文章と、その中に見え隠れするユーモアセンスにぞっこんなのでした。

ま、肝心の物語の展開自体は殺人事件なんかも起こってちょいサスペンス要素もあるのですが、それが却って俗っぽさを助長していて、決して素晴らしく面白いとは言い切れない感じなんですけど・・・。

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